'2001 山スキーの記録

白馬 針木岳 妙高焼山 黒姫 雨飾 焼岳(北ア) 八甲田
白馬岳山スキー報告
アクシデントにめげず、白馬で今シーズンのフィナーレを飾る
期日:2001年6月9日(土)〜10日(日)
場所:北アルプス 白馬岳(白馬大雪渓)
参加者:CL宮田、浅見、金子(記)


                      旭岳直下の柳又谷源頭部のカールで

6月9日(土)

4:45小原循環器センター発 → 7:40白馬 食糧買い&白馬三山遠望 →
〈8:11猿倉着 −8:50発〉→〈9:50白馬尻(小屋なし)着−10:20発〉
→〈11:15 1840m地点着−11:35発〉→〈12:25 2150m地点着 
昼食−1:25発〉 → 〈2:15 2480m地点(避難小屋)着−2:35発〉 →
〈3:10 2650m地点着 アイゼン外す −3:30発〉 →
4:00白馬山荘 金子着 4:10 宮田・浅見着 その後山頂往復

 スキーのフィールドという範疇で考えると、ゲレンデはごく一部に過ぎないことに気付く。「フリー」に滑る、が最近の流れだが、「滑る場所を選ばない自由」が山スキーヤーに与えられた特権だろう。シーズン最後の1本を求めて、白馬へと向かった。
 関東地方が梅雨入りし、天気が心配されたが、白馬へ着くと雲の切れ間から残雪残る稜線が見え隠れしていた。「倉下の湯」近くの大橋で三山方面を眺めながら、行程を練り直す。鑓温泉付近は雪が少ないようなので、大雪渓往復にコースを変えることにした。
 猿倉は緑がまぶしく、夏山の雰囲気すら漂う。布製の靴の若者パーティー発見。どこまで行けるのかなと思ったが、実は終始行動を共にしていた。林道を歩き、長走沢出合を過ぎると、金山沢と本流の出合う所が見え、そこから雪渓が残っていた。どこから雪上に立てるかと探りながら歩いたが、結局白馬尻小屋手前まで地面を歩いた。この小屋は冬の間は解体されているようで、夏に向けて建築中だった。毎年繰り返されるこの労力には頭が下がる。
 今回、譲り受けた兼用靴が足に合わないことから登りは冬用プラブーツ、下りはハードブーツで滑ることにしていた。宮田・浅見両氏がシールで登る横で、ひたすらアイゼンで登っていった。雪渓上を流れる風が冷たい。休憩していると寒くなる。一方、上空は青空が広がり、照りつける日差しで暑さも感じた。雪の状態は場所によっては石が多いものの、雪面状況は6月にしては良好である。まだスプーンカットになってなく、下りへの期待が募った。
 標高2150メートル地点からは傾斜が急になったので、3人ともアイゼンになった。急にスキーが荷重されたからか、浅見さんがこの登りからペースダウンする。夏道が雪渓の中央に溶け出していて、傾斜の急さを実感する。避難小屋の岩場周りで残雪が流れとなり、絶好の水場になっていた。
 夏でいう小雪渓を過ぎてからは3人ともに苛酷な登りになる。既に標高差1300メートルを登り、疲労が蓄積し始めていた。加えて、雪が途切れ出し、ルート設定に悩む。例の若者パーティーなど地道なつぼ足組にも抜かされる。スキー組もこの辺りから滑降を始め、重いザックを担いで歩いているのはわれわれだけだ。植生復元中の札に目をつぶって草地を横切り、歩きやすい雪田を登る。足元から聞こえる沢音におののき、ハイマツ帯へ逃げ込む。村営小屋を目指して、なんとか夏道に至った。一方宮田、浅見組はひたすた雪を求めて小屋の東側の雪田を登った。大腿部への疲労が溜まり、白馬山荘を目の前にして極端に足が遅くなる。遠くそびえる剣岳に癒され、なんとか山荘に辿り着いた。
 スカイプラザはやはり夏山期間のみの営業のようで、稜線での「生中」はお預けとなった。缶ビールで乾杯の後、山頂を往復した。残雪のコントラストが映える鹿島槍、剣、毛勝三山などが視界に入る。小屋の宿泊者は20人程度で、食堂もがらんとしていた。とんかつには一同感激。蛇口の水は使えなかったが、雪解け利用の水&お湯がポットで自由に貰うことができた。1泊2食8600円だった。

10日(日)
6:00起床 → 7:45白馬山荘発 →〈7:50分岐 旭岳山頂下カールで足慣らし−9:20発〉 → 9:50 2580m地点発 ここから完全にスキー滑降 →
〈10:05 2070m地点着 金子のスキー壊れる−11:00宮田・浅見発
11:15金子発〉 → 11:45白馬尻通過(金子) →〈12:15 宮田・浅見猿倉着 12:20 金子着〉 → 白馬 → 江南 午後6:00着

 小屋のテレビで天気予報を見ると、午後から雨となっている。寒気が入ってきていて、大気の状態が不安定らしい。前日遠望できた剣は雲の中で、白馬鑓すらガスに消える恐れもあった。早めに大雪渓を下るつもりで出発するが、祖母谷方面への分岐でスキーヤー3人の血が騒ぐ。「足慣らし」の名目で旭岳山頂下のカールで遊ぶことにした。柳又谷源頭に当たる緩やかな斜面に滑り込む。標高差150メートルはあっという間に終わる。旭岳方面を仰ぎ見ると、ヨーロッパアルプスを彷彿とさせる光景だ。もう1本滑りたいと登り返すと息が切れた。
 デポしたザックへ戻ると、ガスが沸いてきた。重いザックにうんざりしながらも、シーズン最後の滑りだと、意気込んで分岐直下から滑り出す。けれどもこの下は雪が切れている。夏道と雪田を渡り歩いて、標高2580メートル付近からようやく本格的な下りとなった。板を持ちながらの、階段状の下りは歩きにくい。
 疲れの溜まった脚部では、急な斜面がしんどい。細かな凸凹の多い雪面にスキーを食い込ませるのには歯を食いしばるほどだ。避難小屋下の急斜は石も多く、ソールが悲鳴を上げていた。標高2070メートル付近で一休みすることにした。
 そのときである。休もうと板のテールを雪面に差そうとすると、不自然に板が外れた。解放値は最高値のはずだ、と付けようとすると、ポーンと右足のヒールピースが飛んでしまった。ゲレンデ用のビンディングが壊れたのだ。基礎部分は板に残っていた。可動部分が外れたのだ。1時間近くかけ、なんとか直った形になる。試しに踏んでみるが、やはり飛んでしまう。諦めてアイゼンで下ることにした。宮田・浅見両氏が先に滑り、後からひとりで追いかけた。ガスの出始めた雪渓は落石が見えず、怖い。石が崩れる音だけが響く。天気が崩れつつあることを実感した。壊れてしまったことのやり場のない怒りをエネルギーに変え、スキー組と5分と変わらず猿倉に着いた。
 猿倉に近づくころには、空が暗くなり、今にも泣き出しそうだった。靴を脱いで一休みしていると、雷鳴が轟き始める。急いで荷物をまとめて車に乗り込むと、間一髪で大粒の雨が降り始めた。あと10分下山が遅れていたら、確実に濡れネズミだったろう。当初の予定通り鑓温泉ルートだった場合を考えると、ルート変更を正解だと思った。登りで一緒だった若い男女4人パーティーのことがふと心配になった。布製の靴で稜線を栂池へ下りると言っていたのだった。
 「倉下の湯」で汗を流していると、土砂降りの雨になった。八方の「御母屋(おめえ)」でそばを食い、雨と追いかけっこをしながら帰路へと付いた。

※スキー破損の原因は、寿命が考えられます。7年前に購入した板で、最近はエアーの練習をするウオータージャンプ専用にしていました。スキーを履いたまま水に飛び込むものです。まさか壊れると思っていませんでした。ゲレンデ用のビンディングなので針金等で補修することもできませんでした。
                             (記録 金子)










































春の針木岳登頂、スキーの機動力を生かし日帰りで往復す

2001527日 参加者 村越、宮田、豊島、須藤裕、金子、石川(記)
春の針ノ木は結構にぎやか
 埼玉県北某所でみやぶー氏と合流。関越、上信越道を経由して扇沢駅へ。前夜発組の四人と共に身支度を整え、針ノ木雪渓へ向かう。今にも降りだしそうな天候だ。林道を歩き、いくつかの砂防堰堤を越えて雪渓にとりつく。先行したはずのmura氏と行き違い、しばらく待つ。雪の中にしっかり缶ビールをデポし、いざシール登行開始。中高年や若者の、山スキー、テレマーク、ボード、つぼ足などいろいろなパーティーで結構にぎやかである。
急傾斜のモレーンをアイゼンで
 徐々に傾斜がきつくなり、クライミングサポート、スキーアイゼンの助けをかりて、モレーン下のマヤクボ沢出会いまで進む。ここからはスキーで登るのは無理ということで、スキーをザックに着け、アイゼンを装着してつぼ足で登る。モレーン上部はかなりの斜度で、下を振り返ると足がすくむ。なるべく足元から上方を見るようにして、アイゼンを効かせながら慎重に進む。ひも式アイゼンを苦労して締めていたY氏は、mura氏と出会い付近で待機を決め込んだらしい。
 モレーンを登り切ると、マヤクボカールの下部に出る。ここで一息入れ、稜線までカールをひと登りして昼食をとる。Y氏が団体装備のコンロを持っているため、お茶が沸かせず非難轟々。
針木岳2821mに登頂
 昼食後、疲れた体にむち打って、空身で雪のない夏道の稜線を山頂へ向かう。踵の固定されたスキーブーツで、とても登りづらい。20分ほどの我慢で山頂へ着く。1400mの扇沢より標高差1400m、思えばよく登ったものだと我ながら感心する。下に黒部湖、その向こうに立山連峰。黒部平から大観峰までのロープウェイも近くに見える。やや雲もあり、見えるはずの槍の姿はない。記念写真を撮り、下山にかかる。
あっという間のスキー滑降
 お昼を食べたコルにもどり、スキーを着けていよいよ滑降開始。みやぶー氏、K氏がさっそうと飛び出し、Tさんはいつもながらの堅実な足裁きで急斜面を降りていく。体力をほとんど使い果たしてしまった私は、長い斜滑降で何とかごまかしながら、あっという間に雪渓の取り付き地点へ到着する。長時間待ちくたびれた二人と合流。来た道を歩いて駐車場に戻った。その後はおきまりの温泉・そばをいただき午後10時には自宅に戻りました。







“山スキー別天地 焼山北面大地で遊び、頂に立つ”
<焼山山スキー報告> 
 
日 程 5月2日(水)〜5月5日(土)
参加者 CL宮田 SL浅見 村越、大島、豊島、南雲、福田、安藤、松本 計9名

 同人山スキーのメイン山行である2001年GWは、4年前以来2回目のアタックとなる頸城山群の名峰・焼山と日本離れした雄大な風景が広がる北面溶岩台地の滑降を目標としました。ポカポカ天気にも恵まれ、未だ噴煙を上げる焼山にはGWにもかかわらず我々だけの静かな頂に立ち、朝から夕方まで大自然の昼寝をしてきた某2名の者、登頂後には全員で夕焼けに染まる焼山、火打山北面の広大な雄姿を眺めながら酒を酌み交わすなど、それぞれに思う存分堪能した山行でした。

・5月2日<雨> 車にて、江南町某所(20:30)〜笹倉温泉奥のキャンプ場(1:00)
 仕事の都合で、2日夕方8時30分に集合する6名と、翌朝熊谷を発つ3名とに分かれて出発した。雨降る花園ICから関越道に入る。夜の9時過ぎだというのに、高速は北上する車でギッシリ数珠繋ぎで時速80キロで何とか流れていた。車線が1車線となりすでに渋滞が始まっている上信越道を敬遠し、遠回りとなるが関越道長岡経由で北陸道を走る。湯沢付近では止んでいた雨が、上越市を越えた辺りから本降りとなる。能生ICを降り、笹倉温泉先の登山口に向かう。林道は、火打山川に架かる橋で残雪のため行き止まりとなっていた。橋のたもとにある一応キャンプ場となっていた空き地の雪の上にテントを張る。依然として雨がフライを叩くが、ウトウトと浅い眠りに入る。

・5月3日<曇、夕方からにわか雨>
 キャンプ場(9:50)〜アマナ平手前1100mピーク西側1000地点にてB.C.設営(12:30)〜北面大地末端1200m付近往復(14:00に出発・15:30に戻る)
 朝6時に某会長の発声で目が覚まされる。雨は止んでいたが、低い雲が立ちこめ、海が近く標高が500mと低いためか、梅雨時のような湿気が眠気に追い打ちをかける。予定の7時に大幅に遅れたが、後発の3名が9時前に到着する。共同装備を分け、いよいよ焼山北面大地に向け出発する。
 橋を渡り100mほどスキーを担いで林道を進むと、そこから上部は一応雪が付いていたため、最初のヘヤピンからシールを貼り付ける。40度以上はあろうかと思われる急な尾根を、土砂崩れ防止壁で固められた林道に沿って登る。アッという間に、眼下には笹倉温泉の近代的な建物と、水が張られた水田、麓は新緑で頂上付近に残雪をまとった権現岳がまぶしい。気温も高く、ズシッと重い荷物のため、皆汗でビッショリである。最後のヘヤピンを回り込むと、煙を上げる焼山と海谷山群の最高峰・昼闇山が姿を現す。標高は800mほどであるが、もうすでに足下には5月だというのに2mを越える残雪がある。この山域は、日本でも一、二を争う豪雪地帯である。
 これから先は傾斜は緩み、今日の目標地であるアマナ平手前のテン場を目指す。昼過ぎに、4年前と同じ1000m付近のB.C.予定地に到着する。ここからは、昼闇山の至尾根上の高松山を手前に、左側には大火砕流の爪痕でもある水無谷、溶岩台地の奥に焼山と火打山北面の大眺望が拡がる最高の場所である。ささやかなビールで乾杯の後昼食を取り、アライ&ダンロップ2張りを設営する。
 余裕のある宮田、浅見、南雲、安藤の4名は、明日の偵察も兼ねて北面大地の末端を目指して、1本滑りに出かける。大雪原のアマナ平を通過し、溶岩流のため段丘状の急斜面を登り切ると、目の前には、横幅500mから1キロほどもある緩傾斜の大地が焼山の岩峰まで延々と続いている。自然が造り出した素晴らしい造形美に思わず「すごい」との言葉が出る。しかし、天気も怪しくなってきたため、シールをはずして滑降に入る。ザラメ状のコーンスノーで、ターンも思うままにアッというまにテン場に到着する。テントに入り15分もしないうちに、にわか雨が降り出す。雨は夜半まで降り続き、時折、対岸の急峻な尾根から落ちるブロック雪崩の爆音がこだまする中、寝不足のためすぐに就寝となる。

・5月4日<晴>
 B.C.(6:00)〜焼山北面大地1200m(7:00)〜1450m地点(8:00)〜焼山岩峰直下2000m(10:30)〜焼山外輪山山頂(12:00・13:30)〜岩峰直下(14:00)〜北面台地1500m(15:00)〜B.C.(15:30)
 昨晩の雨もすっかり上がり、快晴の夜明けを迎える。見上げる焼山と火打山も朝陽に照らされ、絶好の登山日和となった。スキーにシールを付け、9名全員で出発する。北面大地の末端までは昨日登った斜面であるが、早朝のため雪面がガチガチに硬く締まっている。おまけに、シュプール(昨日、気持ちよく滑ってものですが)の跡は更に硬く、エッジを命一杯立てて登っていく。準備体操には十分過ぎるほどであった。
 急斜面を登り終え、昨日偵察に来た1200mの大地末端に立つ。雲一つない真っ青な快晴のなか、たっぷり残雪が残る頸城の名峰がズラリと並ぶ。この景色だけでも、重いテントを背負って来た価値は十分である。ここで、つい2週間前の中国旅行中にろっ骨骨折の負傷を負いながら超人的な回復力と山への情熱で参加した村越会長とお付きの福田氏は長ーーーい「スリーピングタイム」に入る。
 ほかの7名は、山頂へと延びる大雪原を気分も爽快に一歩一歩登っていく。GW真っ只中、この雪原にいるのは、昼闇山を北面大地から目指す山スキー3人と高松山の尾根からつぼ足で目指す大学のパーティ10人ほど、それに影火打をトラバースし火打山頂に向かうと思われる山スキー7人と火打山頂から内院をつなぐ急峻な北綾を登攀する地元のベテラン登山者3人、他にテレマークの夫婦1組と山ボーダー&スキー&ショートスキーの学生混成隊5人だけ。さえぎるものない雪だけの景色に蟻が点々と動いているようだ。日本離れした雄大な景色をまさに独り占めである。
 気温も上がり、皆Tシャツ姿で汗を拭いながら歩を進める。焼山山頂部の溶岩でできた岩峰がグッと近づく。この岩峰を縫うように山頂へ行くルートを探す。火砕流で出来た一ノ谷の右岸に沿うように標高を上げていき、傾斜が約30度ほどと斜度がきつくなった2000mでスキーを脱ぎアイゼンに履き替える。少し登った約2100m付近で一ノ谷を乗っ越し、下から見上げたら壁に見えた山頂へと続く雪の斜面をトラバース気味で登る。急斜面を登り終えると、山頂付近から上がる噴煙が目に飛び込む。山頂直下、最後の100mが軟雪で時には腰までもがきながら苦労したが、やっと火口が足下に見える山頂部に12時ちょうどに立つ。眼下には、きれいな雲海の上に昼闇山や名峰雨飾山が微笑んでいる。山頂は我々だけで、静かな時が流れていた。
 長い昼食を済ませ、スキーをデポした2000mまでアイゼンで下降する。スキーに再度履き替え、ブーツのバックルを締める。いよいよ待ちに待った焼山北面大地の滑降だ。大島御大から大斜面に飛び込んでいく。障害物はほとんどなく、思い思いにシュプールを刻んでいく。ウェーデルンで直線的にカッ飛ぶ者、大回りパラレルで優雅に滑る者、ボーゲンで着実?に滑る者、心地よい風を切って雲海に次第に近づいていく。雲海のすぐ上で大休止し、担ぎ上げたビールで乾杯。皆の顔が焼山登頂とスキー別天地と呼ばれる大地を滑る満足感、それにビールの喉ごしで頬が思わず緩む。この後は雲海の中に飲まれていき、会長らが待つB.C.に到着。充実した1日であった。
 またまたビールで乾杯の後、夕食は焼山と火打を見ながら外で取ることにする。スコップで溝を四方に掘り、天然のテーブルを囲みながらの宴会となる。酒の肴(噂話ですが)には事欠かず、いつしか夕闇が迫ってきた。明日は、朝いちでテントを撤収して温泉に直行することを決め就寝となる。

・5月5日<晴>
 B.C.(7:00)〜車(7:50)〜笹倉温泉〜上越市IC〜江南某所(16:30)
 今日も快晴の朝を迎えた。今日の行動は下山だけなので、ゆっくりとした朝食を取る。テントを撤収し、重荷を背負っての滑降だ。しかも、標高が低いため雪面が溝状となっていて、いかにも滑りにくい。3日前より新緑が明らかに濃くなった樹林をくぐり抜け、超急斜面のヘヤピンを滑り終えると駐車場奥の橋の上に出た。100mほどスキーを担ぎ行動終了。荷物を車に積み、宿泊客の朝風呂時間帯となっていた笹倉温泉の露天風呂で汗を流す。
 帰路は、青い日本海の潮風を受けながら能生町の道の駅で土産を買い、上越市役所前の回転すし店・廻鮮日本海では中トロやイクラで舌鼓を打ち、往路と同じく渋滞を避けるため長岡JT、開通間もない北関東道・伊勢崎IC経由で無事家路についた。
 みなさん、お疲れさまでした。

<報告者:宮田>













 噴煙を上げる山頂







 雨飾山





 昼倉山

雨飾山・山スキー行 湿雪と温泉と日本海と

期日 2001年3月18日(日)〜20日(火祝)
参加者 宮田・青木・村越・中野・安藤・並木・高野・(豊島) 


3月18日(日)
 前日より雨天の予想により、予定を遅らせ5時30分川本町集合、6時出発。高速道路は連休にしては比較的すいているが、途中霧が多く見通し悪い。更埴ICから白馬を経由して、小谷温泉山田旅館に9時30分到着、山にはガスがかかって雨も時折強く降り、部屋に通してもらいしばし待機とする。11時を回って日差しが見えるようになり、湯峠あるいは鎌池あたりまで往復してくることにする。
 11時30分、宮田、青木、中野、安藤の四名で宿を出発。20分ほど除雪された車道を歩き、国民宿舎下のカーブ地点でシールを取り付ける。既に天気は回復し日差しが暑い。疎林の中を登高開始する。足首程度のラッセルだが快調に進み、13時前に鎌池上部の林道上(未除雪)に出る。日差しは強いが風はやや冷たい。本日はここまでとし、早速風をよけた日だまりで持参したビールで乾杯。
 13時30分滑降開始。雪はやや深くそしてかなり重く、スキーが全く回らない。宮田、青木はパワーでターンを決めるが、中野、安藤は湿った雪に悪戦苦闘し、何度か転倒をしたり、キックターンで方向を変える。
 14時、シール取り付け点上の気持ちの良い広い斜面に出るが、雪質は変わらず、快適な滑降とはいかなかった。中野が足を取られて転倒、ビンディングが変に開放し、リセットにとまどう。宮田は軽快に、青木は強引にウェーデルンを、安藤はあきらめてギルランテとキックターンでなんとか滑降する。14時15分終了点。車道を歩いて14時40分に宿に戻る。
 部屋では村越、高野、並木がくつろいでいる。昼過ぎに宿下の車道脇の斜面が崩れて雪崩が道を塞いだそうだ。道はすぐに除雪されたが、確かに今日は暖かくまた明日も同様だと思われ、雪崩に充分注意する必要がある。
 17時30分に食事の案内が来る。病院並の早さに面食らうが、夕食は海山の幸に郷土料理の珍しいものも。舌鼓を打ち酒がすすみ、部屋に戻ってすぐに眼が閉じてしまった。

3月19日(月)

 朝からすっきりと快晴。山支度を整え、朝風呂も入って食事を速攻で詰め込む。
 8時に全員で宿を出発。昨日の取付点を過ぎ、30分ほどで旅館栃の樹亭下の除雪終了点。スキーを装着。高野はここで引き返す。並木は林道上をつぼ足で鎌池先を目指す。まだ雪は締まっており、それほど潜らないようだ。宮田・青木・安藤の3名は目的である雨飾山のP2をめざし、復調の兆しを見せている村越と風邪の治りかけの中野は尾根上の1450m付近を目標とする。
 既に気温は高く、オーバーズボンの中が汗で蒸れてくる。ショートカットした林道と再び合流しなお進むと、右手に雨飾山が大きく白く見えてきた。夏のキャンプ場脇から林道を離れ、沢の中の小尾根を登高する。
 10時前、小尾根の中程の1350m地点で休憩。同宿の単独行者と相前後する。
 10時50分、1500mの尾根上のピークに達する。眼前にP2の斜面とその奥に本峰の鋭いピークが見える。ここから尾根は急傾斜となる。宮田はスキーアイゼンを装着。青木はパワーで登るのでそのまま。安藤はスキーアイゼンもなく、また滑降に不安もあるので、ここからスキーを脱いでつぼ足にアイゼンを装着してP2を目指す。
 宮田・青木はぐんぐんと高度を稼いでいく。安藤は先行者のつぼ足の踏跡を辿るが、既に雪はゆるんでおり、膝上までの重いラッセルに辟易する。11時30分、先ほどの1500m地点に村越・中野が達したのが判った。白馬連山の稜線が眼に眩しい。

 12時、二人は遙か先を進んでいるが全く追いつけない。携帯電話が通じたので青木・村越に連絡を取り、安藤は引き返す。12時30分、1500m地点下の疎林で昼食をとっている村越・中野と合流した。程なく青木から、P2に達したとの連絡が村越の携帯に入る。雪を溶かして甘いココアとコーヒーをおかわりした。
 13時10分、村越・中野・安藤で下山開始。昨日と同様とても雪が重くスキーが回らない。村越は病み上がりとはいえさすがに巧者、軽快とまではいかないが確実にターンをしていく。中野は要所でもんどり打つように転倒。山スキーでは転んではいけない、格好悪くても確実にスキーを制御するのだと、村越から檄が飛ぶ。
 沢の中は広くて快適に見えるが、村越が先行してみると足先から雪が崩壊して行き、とても危険で入れない。狭い小尾根を苦労して後をついていく。階段歩行で降りたりしながら、やっとキャンプ場脇の林道分岐に出た。ほっとして煙草に火を付ける。そういえば昼にも吸っていなかった。村越が恨めしそうに安藤の煙草を見て、山の上で何か物足りなくて落ち着かないとつぶやく。一口だけ吸わせてあげた。
 14時過ぎにに除雪終了点着、15時前には宿に入った。30分しないうちに宮田・青木も帰着した。P2直下の斜面はそれほど悪くなく快適に滑降できたが、その下の樹林からはやはり湿雪でとてもスキーにならなかったそうだ。安藤が同行していればもう1時間は余計にかかっただろうとのことだった。並木は林道上の雨飾山が全望できる地点まで到達したそうだ。高野はやはり、ここまで山に来て歩けないのはつまらないと言った。
 16時20分、休暇を取ることができなかった豊島が到着。山に行けなかったストレスを柔らかい温泉の湯と、そしてお酒でほぐしていった。夕食は前日にもまして早い17時10分に案内が。お彼岸ということで、お赤飯が出てきた。土地によって食文化も違うのが面白い。翌日は山に行かないし、豊島も来たので前日以上に酒がすすんだ。部屋に戻ってもさらに、全く飲まない並木もつき合って遅くまで酒と山の話はつきなかった。


3月20日(火)
 今日も暖かい。糸魚川廻りで帰る。能生町の風車のある道の駅で海産物のおみやげを買う。ベタ凪で鏡のような日本海に春を実感する。直江津のジャスコの中に、へぎそばで有名な十日町の小島屋の支店を見つけ、そばを堪能して13時に高速に乗り、16時には八木橋の写真展の撤収に合流した。










左後方は大渚山







雨飾山を望む
















P2にて、青木、宮田


北ア・焼岳 山スキー行
2月10日〜11日 宮田、中野、石川、須藤裕、南雲、青木、浅見

2月10日(土)

 早朝4時30分、川本町某所集合。青木レガシィと浅見パジェロイオに7名が分乗し、関越道・上信越道・長野道とひた走り松本ICへ。計画だと沢渡の駐車場においてタクシーで釜トンネルの手前まで入山する予定だったが、駐車場が営業していない。仕方なく、いけるところまで行こうということになった。釜トンネル手前には中ノ湯方面にすでに登山者の車がびっしり並んでいた。200mほど登った道路脇に駐車。(9:30) 団体装備を分けて、スキーをザックに着けて歩き始める。(10:10)20年以上前に真っ暗な釜トンネルのなかで転んだことがあるなと思い出して、ヘッドライトとアイゼンはすぐ出せるところにしまいなおした。しかし、トンネル手前の道路の氷に滑って見事に転倒。でかいザックのおかげでダメージはなし。冬山装備の重さがこたえる。釜トンネルそのものは電気もついていて歩きやすくなっていて難なく通過した。クロカンやスノーシューの人が多く我々のような重装備とはミスマッチである。

 大正池手前の橋を渡った1500m地点にB.C.設営。(11:40)お茶を入れて昼食。出発(1:30)、明日のためのルートづくりと偵察をかねて、樹林帯の急斜面にとりつく。下堀沢をわたって尾根にとりつく最初の10mが特に急で一部スキーをはずしてよじ登る。先行者何人かのトレースがあるが、雪が軽く柔らかく、崩れやすいので登りにくい。スキーで斜めに登り、向きを変えて反対方向に向かう、これの繰り返しだが、向きを変えるとき山向きのままではできないくらいの斜度がある。苦労して谷向きのキックターンで方向を変える。みんなに聞くと谷向きに変えていたのは自分だけだった。登りを考えると板は短い方がいい。1730m地点斜度がゆるくなったあたりで今日の登りは終わりとし(3:20)トレースをこわさないように滑る。深雪の林間滑走を楽しむ。木の間隔が狭く、急斜面なので慎重に滑るが雪の軽さと深さに頬がゆるむ。尾根取り付き(4:00)B.C.(4:20)。冬のテントは狭いながらも楽しい我が家といった感じだが、膝を抱えて座っていると急に足が攣るので困った。

2月11日(日)

 夜中に月明かりで焼岳山頂が見えたのだが、天気は下り坂の様子。出発(6:50)

雪は柔らかいままで、尾根取り付きはやはり登りにくい。10m登ってしまえ後は昨日のトレースを使って快調に高度をかせぐ。昨日の到達点1730m地点(8:06)ここからはやや斜度が落ち、樹林もまばらになってくる。標高2000mくらいが緩やかな広い尾根になり、雪も降り始めたので、帰路ルートを失いそうで注意が必要。先行パーティーは赤布のたくさんつけていた。雪が多いので下堀沢のなかには入らずにこのまま南尾根を登る。2050mくらいから再び急斜面となるが滑走を楽しみにもう一頑張り。このころから雪が激しくなる。2260m地点(11:00)で登りはここまでとして、待ちに待った滑走がはじまる。抵抗のない深雪、樹木のまばらな程良い斜面、自分のスキーで巻き上げた雪が胸にかかる、深雪のなかで身体がフワッと浮き上がる感覚、この一瞬のために何時間もかけて登ってきた。これだから山スキーはやめられない。標高差760mを1時間で滑り降りる。取り付き(12:00)B.C.(12:20)。昼食、撤収、出発(2:00)駐車場所(3:20)沢渡温泉〜松本そば〜熊谷。







取り付きの急登を終えて




CL



2000m付近



八甲田スキー山行   2001.1.5〜9 
3度目の正直 厳冬の八甲田大岳に登頂す
 
参加者 みやぶー、たろさ、toyo、miyap、ゆうさん、0、F、A、いっしー(記)

1/5 熊谷5:00 0邸発 大雪のため東北道の一部通行止めもあり、八甲田 酸が湯温泉19時着 所要14時間
1/6 吹雪模様のため、ロープウエイを利用し、ゲレンデにて足慣し、3本。 山頂駅付近は強風、ホワイトアウト状態。コース指示のポールがなければ遭難しそう。
1/7 天候回復の予報。小雪の中、八甲田大岳に向けて、7:53酸ヶ湯温泉(890m)発。途中からトレースもなく、ラッセルに苦労しながら、11:05仙人岱ヒュッテ着(昼食)。地元の方や東京から来たパーティーなどで結構にぎやかでした。11:50ヒュッテを出て大岳山頂を目指す。途中から岩のごつごつ出た斜面を嫌って、スキーを脱ぎ、つぼ足になり、13:09登頂(1584.6m)。ガスが時々晴れ、白一色の八甲田の山々が姿をあらわす。下山、スキー滑降。天候が回復。日の光を浴びた樹氷群、雪原の光と影のコントラスト、きらめくダイヤモンドダストに感激。15:20酸カ湯着。
1/8 8時発。往路以上の大雪で、東北道一関・那須間の長時間の通行止めがあり、熊谷着翌1/9 午前4時。所要20時間。お疲れさんでした。




















 仙人岱ヒュッテ付近



 (画像はすべて1/7のもの)
 八甲田大岳山頂直下
八甲田大岳山頂直下