トレッキング記録    熊谷トレッキング同人

B隊 ヒマラヤを越えてラダックへ
宮内 浩志



 昨年、新婚旅行のペルーで、ナスカの地上絵を見た帰りに、とある町のストライキに遭遇した。バスの中で一夜を過ごしたうえ、乗用車が炎上する異常な雰囲気のなか、砂漠の一本道を25kmも歩き、催涙弾が飛び交う中を乗り越えて、なんとか生還した。そんなこともあり、妻も途上国の旅行に慣れてきたということで、今年は、僕が何度も訪れているインドに妻を連れて行くことにした。  目的は、マナリーの友人に結婚報告を兼ねて妻を紹介し、ヒマラヤの雄大さを感じながらチャンドラタールの村越先生のケルンにお参りすること。さらには、インド独特の喧騒や雰囲気を味わうこと。予定は7月8日から23日の16日間。独身のときと違い、二人分の旅費は大きな負担であり、飛行機は上海経由の格安便、サンペルには無理を言って格安でインド国内の手配をしてもらった。  7月9日午前2時頃、デリー空港に到着。こんな時間でも、スレッシュさんがお迎えに来てくれていた。夜が明けるまで空港のベンチで時間をつぶし、デリー駅へ。インド初めての妻は、空港のトイレでのチップおばさんや、デリー駅での喧騒や、物乞いと列車に乗っている人たちとの格差や、トラックの装飾、クラクションなど、見るもの聞くものどれも興味深く、中にはショックを受けたりもしているようである。

 特急シャタブディエクスプレスでチャンディガールへ、そこからジープに拾ってもらい、20時半頃、マナリーの風来坊に到着。お酒の入った森田先生から、「お前、よく結婚できたなー。」とお祝いの言葉を受ける。

 さっそく、ロータンパスから東側が大雨の土砂崩れの影響で通行止めになっており、いつ開通するかも分からず、チャンドラタールに行くのは無理との情報を得る。残念ながら、チャンドラタールの村越先生のケルンはまた次回だ。これがインドだ。僕たちの予定はいきなり、白紙に戻ってしまった(といっても、ほとんど何も計画していなかったのだけれど)。  マナリーで2日間ゆっくり休養することにした。10日は風来坊の裏手にある、サンペル&淳子さん夫婦の家へ遊びに行く。新築のサンペルの家はとてもきれいで広く、2階は建設中であった。淳子さんも、同年代の私たちの訪問を喜んでくれた。今後の予定をサンペルと相談し、チャンドラタールへ行けないのであれば、ヒマラヤを越えてラダックの岩と砂とオアシスの世界を見に行きたいという私の希望を入れてもらい、レーとラダック北部のヌブラ谷へ向かうことにする。私たちの後から来る予定の大嶋さんたちのグループは日本で入念に計画してラダックからのヒマラヤ越えをするのに、私たちは行き当たりばったりでヒマラヤ越えをすることになってしまい、なんだか申し訳ない気もする。ただし、帰りはどうなるか未定。

 夕方からは森田先生にうまい焼酎をいただき、夜は、サンペルとお決まりのビールで乾杯。おいしいカレーとビールとで温かいおもてなしを受ける。サンペルの亭主関白振りとか、仕事中と普段の顔の違いとか、お互いにいろんな話ができ、思い出深い一夜となった。

 翌11日は、ナガールのお城でお茶を飲みながらのんびりとヒマラヤの風にあたり、アンドゥのお誘いでリグジンさんご一家とおいしいチキンカレーをごちそうになり、淳子さんに買い物に付き合ってもらい、夜にはまたサンペル宅に押しかけて軽く一杯と、充実した一日を過ごした。  さて、12日はいよいよヒマラヤ越えである。朝9時過ぎに森田先生、サンペル&淳子さん、スタッフたちに見送られる。この日はロータンパスを越えてケイロンまで。僕にとっては、もういつもの道を、ジープで登っていく。途中まで、別グループのガイドでパルカッシュが同行。久しぶりの再開に話に花が咲く。道端にはブルーポピーが咲く。午後4時半、ケイロン着。

 翌13日は、ヒマラヤ越えの長丁場。途中で一泊することもできるが、むしろ一日で行ったほうが楽との森田先生のアドバイスもあったため、そうなったのだ。運転手のラーメッシュ、長時間労働させてごめんなさい。まずは午前8時、標高4845mのバララチャラ通過、11時50分、5060mのラチュルンラ通過。

昼食後、妻がダウンしてしまう。まず、吐き気、手足のむくみ。午後5時10分、車が通る道路では世界第二位の高さの標高5260mのタンタンラに到着するが、妻は写真を撮る気力もわかない。ここからは高度を下げていくが、次第に、顔面蒼白になり、手の筋肉も固まり、結構ヤバイ状態になる。ジープに酸素は積んでおらず、一刻も早く下るようにラーメッシュにお願いする。標高が下がるにつれて、少しずつ会話もできるようになってきた。カラフルな岩肌や時季はずれの大雨で増水する河を眺めながら、午後9時、ようやくレーのホテルカングラチェーンに到着。夕食も食べられず、妻にとっては過酷なヒマラヤ越えになってしまった。新婚旅行でも妻は、アンデスのチチカカ湖へ向かう登山列車で、標高4000mを越えたあたりから頭痛や食欲不振などの高山病の症状が出た。まだまだ高地には慣れないようだ。  翌日は、レーで一日滞在する。高度に体を慣らすため、ゆっくり動く。妻も食事を取れるほど回復し、昼食はチベット料理を食べる。夕日を浴びたレー王宮は、とても美しかった。  15日は、車が通る道路では世界第一位の高さのカルドンラ、5604mを越えて、ラダック北部のヌブラ谷に行く。ここは僕も初めての場所だ。パキスタンとの国境も近く、パーミットが必要だが、サンペルに頼んでおけばそのへんの手配はぬかりない。朝8時35分、ホテルを出る。左手に大きな氷河を見ながらジープはどんどん高度を上げ、カルドンラには10時着。わずか1時間半で、標高3500mのレーから高度2000m以上もあがる。

 茶色の山々の中にインダス川や、緑のレーの町や周辺の小さな村々、ラダック中の白峰の山々を見渡せ、非常に気分が良かった。インドヒマラヤ堪能!といった感じである。妻はまたまた頭痛で、一人はしゃいでいる僕への視線が冷たい。この峠は、レーダーのアンテナ等、軍の施設ばかりで、国境地帯の重要な拠点なのだと思う。ヌブラの標高は2800m位のため、ここからはどんどん下り、午後1時15分、ヌブラ谷のティリッドという小さな村のキャンプに到着。テントの中にベッドが置いてある、清潔で快適なキャンプである。ちょっと休んで、スムールという村のまだ新しいゴンパへ。チャイをいただく。その後、ヌブラ谷で旅行ができる最北端のパナミックという村へ。なんと、ここには、温泉がある!温泉好きの僕としては入らないわけはなく、小屋の中で、菅を通して豊富にあふれ出るお湯を浴びる。熱すぎず、ぬるすぎず、最高!!妻は呆れたように見ていた。

帰りの時間が遅くなったため、増水した川を渡るのに立ち往生し、軍のトラックに引っ張ってもらったりしながら、キャンプへ戻る。夕食もおいしく、シャワーも非常に清潔で、まるでインドではないようである。ベッドは虫がいるのか、そのままではなんとなく体がかゆく、結局シュラフに入って眠る。  16日は、ヌブラ谷の西側へ。途中で、ヒッチハイクをしていた年配の僧を乗せ、ディスキットゴンパへ。高台にあるこのゴンパ(寺)からは、ヌブラ谷を見渡すことができ、ところどころにある、菜の花畑の黄色がまわりのオアシスの緑の木々との対比が美しい。そのまわりは岩や砂の茶色である。その年配の僧は、このゴンパの偉い僧のようであったが、ゴンパを案内してくれることになった。言葉は通じなくとも、身振り手振りでいろいろ教えてくれる。非常に古い壁画や仏像、マンダラも見せてくれる。また、向かいの新しいゴンパの2階には、普段は誰も入ることができないダライラマ専用の部屋があり、特別に見せてもらえた。書斎や寝室、風呂、客室など、一流ホテルのようである。運転手のトゥンドップは、ダライラマのサンダルに触れてお祈りをしていた。さらに、このゴンパの次期最高位となる子どもの僧(ラマ)にも会わせて貰うこともできた。最高位の僧は、生まれ変わりで選ばれるらしく、彼は6歳半で、まだまだ子ども。僕たちにお祈りをして、白い布をかけてくれた後は、持っていた棒で遊んでいる。まわりもそれをほほえましく見ている。偶然の出会いで、貴重な体験をさせていただき、本当にラッキーであった。その後、フンダールというヌブラ最西部の町で15分ほどラクダ乗り体験をしたりして、4時頃、キャンプへ戻る。  翌17日はレーへ戻る。午前9時半にキャンプを出発、一方通行の時間帯のため道路が閉鎖されて1時間半ほど待たされたりもしたが、午後1時半にカルドンラ通過、午後2時40分にはレーに到着した。翌日のデリー行きの飛行機がまだ取れていなかったが、インドでじたばたしてもはじまらないことは今までの経験で分かっている。妻はもう一度ヒマラヤ越えをするのはこりごりのようだが、チャンジーさんに全てを託し、ホテルの夕食を堪能する。マトンカレーがおいしかった。  18日。再度車でヒマラヤ越えをするか、デリーへ飛べるか。それにより今後の予定も大幅に変わる。朝4時半に起床。6時半、レー空港到着。チャンジーさん、空港内を奔走し、デリー行きのチケットを無事確保してくれた。さすが、サンペルのネットワーク。いざというときに本当に心強い。飛行機はかなり遅れ、12時に離陸。あっという間にヒマラヤを越え、1時過ぎにはデリー着。ここにもスレッシュさんが来てくれており、ホテルへ送ってくれる。

 ホテルの部屋は、とても蒸し蒸しとていた。部屋に落ち着くと、なんとなく体がだるく、お腹が痛い。次第に寒気も覚え、クーラーを止めて毛布を何枚ももらってくるまる。これまでの経験から、この状態だと3日は寝てないといけないだろうなと思う。実は、昨年もイースター島で3日間ほど寝込んだこともあり、我ながら、「またか。」と思う。原因はおそらく疲れだろう。医者を呼んでインドの薬をもらった方が手っ取り早いと思い、妻に医者を呼んでもらうことにする。まさか医者を呼ぶことになろうとは思っていなかった妻は、スレッシュや、サンペル、淳子さんに連絡したりして、本当に大変だったようだ。夜10時半頃、医師がやってきて、薬をくれる。薬を飲み、あとはひたすら眠る。夜中に熱を測ると8度4分ほどだったが、朝には気分はすっきりしており、熱も下がっていた。さすがインドの薬、よく効いた。  その日は、サンペルにわがままを言って、ホテルを替えてもらう。連れて行ってくれたホテルは、JAYPEE VASANT CONTINENTAL HOTEL。一流ホテルで、ロビーからして広々、部屋も清潔、エアコンばっちり、快適でないはずはない。インドとは別世界のようだ。客はインド人や外国人のビジネスマンが多い。インドも変わりつつあることを実感した。結局、この日も微熱があり、一日中快適なホテルで睡眠。  20日は完全復活し、デリー観光で世界遺産に指定されたクトゥプミナールや、大統領府、インド門、オールドデリーのモスク、ジャマーマスジットを見学。21日は、アグラ観光でタージマハルとアグラ城を日帰り。22日はデリーでショッピング、23日の午前1時にチェックアウトして朝4時発の便で上海へ。そのまま乗り継いで、午後8時半に成田着。夕方に東京で震度5の地震があったとかで電車も大混乱だったが、日付が変わった頃になんとか上尾に到着した。  最後に、さまざまな面でご尽力くださいました、サンペルと淳子さんを始め、森田先生、インドのスタッフの皆さんには今回も大変お世話になりました。また遊びに行きます。さらには、さまざまな雑用を快く引き受けてくださった、大嶋さんと福田先輩、ありがとうございました。妻にはまたもや迷惑をかけてしまい、本当に頭が上がらなくなりました。しょぼん。