【無雪PH】マウェンジ峰5151m ・キリマンジャロ登頂記

投稿日時: 2019/11/28 システム管理者

 

山域山名:アフリカ大陸キリマンジャロ(5895m)

期日:2016年12月18日(日)から23日(金)

参加者:橋本義彦、グループの同行者9名(会員外)、日本人ガイド1名、現地ガイドやポーター等延べ33人

行動記録:18日(日)<晴れ>マラングホテル9:30=(車)=マラングゲート9:50/10:50-マンダラハット15:55

5:30に起床。6:30までホテル敷地内の散歩。木々がたくさん茂る。花をつける植物が多い。ブーゲンビリア、フェニックス、アゲラタム、ハイビスカス他。実を付けた木、つる性の植物、棘のある木も多い。10m以上の高木も所々にある。地面は粗い柴のようで刈り込んである。鳥も多く、ポポポー、チチチーなどと鳴いて飛んでいる。鳩のような鳥もいる。ホテル敷地内の広場から白く輝く氷河をいただくキリマンジャロの頂が見えた。その東にマウェンジ峰も見える。「アフリカに来た」と実感する。道路まで出ると50cm位の灰黒毛のある動物が轢かれて死んでいる。日本のタヌキのようだ。動物と車の関係は日本と同じだ。ホテルの周囲には木々が茂り、緑豊かなきれいなホテルだ。東南アジアのリゾートホテルのようでもある。朝食7:30?8:10内容はフルーツ(バナナ、パインアップル、スイカ)、ミルク、シリアル、トースト、エッグ、ベーコン、ソーセージ、コーヒー。卵は焼き方も聞かれる。プレーン、サニーサイド、スクランブル。同行者と話しながら朝食をとる。60年前には雪が多く、氷河は小さくなってきた・・・等。部屋に山の古い写真があり、氷河が大きいことが分かる。車で出発し20分ほど山に登っていく。マラングゲートに着く。Pはかなり広い。周りは緑濃い森で、それほど暑くもない。簡単にガイドを紹介される。ポーターに運んでもらう荷物をポーターに預け、入山手続きをする。といってもガイドの手続きを待つことであるが。余裕があるので周囲を見学する。トイレは水洗だ。ゲートの前には腕輪など土産を売る人もおり声をかけられる。「こんにちは!」など日本語も飛ぶ。手続きを待つオーストラリア人グループがいて同行の英語の堪能な方が会話をする。入園料が1日でUS70?、山小屋の宿泊1泊US60?泊数分、現地スタッフの費用等結構な支払いになる。入山ゲート近くに1889年に初登頂を果たしたドイツ人メイヤーのレリーフがモニュメントにはめこまれている。1時間近く入山手続きに時間がかかるのはタンザニアの時間の流れなので仕方がないと待つのみである。やっとガイドから登頂開始の声がかかる。車道の西に登山道があり、小さなゲートを通り、登山開始。ここで標高1800m。トップは日本人ガイドの松本さん。参加者10人のうち女性2人が続き、私は後方の8番目辺りで歩く。日差しは強いがすぐに森の中に入り、またペースはゆっくりで、急登でもなく、汗をかくほどでもない。緑の濃い照葉樹林の中を歩いているかのようだ。2時間ほど樹林内を歩く。400mほど高度を上げ、2250m地点で昼食。13:10/11:45。トップにステンレスを貼ったテーブルで昼食をとる。すぐに同行現地スタッフがコップを配り温かいスープを配ってくれた。これを飲みながら配られたランチを食べる。パン、バナナ、ゆで卵、パックジュースなど。このようなメニューはほぼ毎日同じだった。食べ終わり、周囲の植物を観察。蔓植物に白い花が咲いている。よく見ると2cmほどの実がついている。日本のマタタビによく似ている。ということは何百万年だかかけて日本まで生育地域を広げたのか。昼食後また登る。ジャングルのような森林帯である。傾斜は緩い。丁度よい気温。日光は遮る。下草は余りない。高木にはツタ植物も巻き付いている。樹幹には地衣類も付いている。老人の長いヒゲのように垂れ下がる。道端の草は日本の草とかなり似ている。カヤツリグサ、アザミ、マタタビなど。虫は少ない。カナブンの仲間1種、アリ、ミミズは全く見ない、ナメクジは7cmのもの1つだけ。ハエ、カ、アブ、ブヨはいないし、食われない。クモの巣は1ヶ所のみ見た。草を食う青虫も少なく、1度虫食いの葉を見たのみ。鳥は1種、飾り羽のついて鮮やかな鳥だった。サルや他の動物も見なかった。10m以上の高木が多く、その樹幹には着生のシダが付いている。特に横、斜めの樹幹には多い。火山の山らしく、沢は距離の割には少なく、この日は水量も少ない小川を3本小さな橋で渡ったのみ。植物のタンニンを含むのか、薄コーヒー色だ。ミズスマシの類が水面を泳いでいた。魚、カエル、水性昆虫もいない。次第に樹木が10m以下位に低く葉が針葉樹のようになり、明るくなる。そして、15:45木々のない開けた広場のようなところに山小屋の建っている明るいマンダラハットに着いた。

 食堂でお茶の時間となる。お湯と飲み物が準備された。メニューはミロ、ココア、インスタントコーヒー、キリマンジャロティー。お茶を飲みながら談笑。今回のお土産の話、交換留学生を預かっている等。キリマンジャロと言えばコーヒーが思い浮かぶが、ここタンザニアの有力輸出品の一つで優良品は、地元には無いということもガイドが話していた。ティーが美味しい、お土産にはよいと言われた。どこも同じようですが、土産物は高いのでスーパーマーケットで土産物を買えるようにしますと・・・これも私の感覚に合った言葉で安心した。

 マンダラハットの山小屋は壁がセメントで蔵のような作りで1室8畳ほど、中は土間でここに作りつけの独立のベッドが上下3あり6人が泊まる。こうした独立した山小屋が10棟以上あり、食堂棟、トイレとなる。1人1畳、一応マットレスも敷いてあり、日本の山小屋との比較でいうと十分な感じだ。電気はソーラー発電でバッテリーに蓄電しLEDの照明が点く。時間に余裕があり、周辺を散歩する。山小屋の周辺は草地になっており、ワラビとよく似たシダが繁茂しスイバのような植物も生えていた。北側には高木があり、高い枝にヒゲのような地衣類が垂れ下がり高木老人のようだ。植物や、昆虫をみる限りアフリカを感じさせない。特に虫については、少ないのに驚く。雨季には大量発生するかもしれないが。

 夕食(スープ、ゆでジャガイモ、パルチ=淡水魚の揚げ物、パン、野菜炒め、スパゲッティ、パイナップル)をたくさんいただき、小屋に戻る。星も出ているが星座はわからない。持参したシュラフに8:00には入る。今回の参加者は10名。49歳から72歳。男8名、女2名だ。皆、楽しみで参加したようで大人の遠足のような雰囲気だ。それぞれの「キリマンジャロ登山」への思いを抱いて参加したことが会話の中で分かる。登山だけでなく、家族や仕事や生活のこともつい話しに出る。

19日(月)<晴れ>マンダラハット8:00ーホロンボハット15:55

 6:00起床。夜は星が綺麗だった。オリオンが天頂にいて、赤道付近にいることが分かる。朝焼けがきれいに東の空を朱色に染める。6:00に朝のお茶が配られ、その後、洗面用の湯が小桶に入れられ小屋前に配られる。これは毎日同じサービスだった。小屋の周囲は鬱蒼とした森で小鳥がチュンチュン、ヒーなどのさえずりが響き渡る。朝食はパン、お粥、パパイア、アボガド、トマト、キュウリだった。準備をしてマンダラハット2700mを出発する。前日と同じような森の中を歩く。開けた場所は草地で、日本のイノコズチの類やカヤツリグサ、カタバミのような草もある。高木では日本のマキと同じ葉の植物もあり、アフリカにいることを感じさせない。木には白いヒゲのような地衣類がついている。高木が多く広葉樹の常緑樹で直幹は少ない。1時間ほど森の中の緩い斜面を歩いていくと次第に木々が低くなり潅木の草原2980m地点に出る。ここで休憩。北にマウェンジ峰が望める。

ここからは森を抜け、潅木、草原地帯で西北に進む。広い草原の上をツバメの1種が数羽飛んでいる。ハチは1回だけ、アロエの花に似たレッドホットポーカーにトカゲが登っており、写真に納める。下の町が見える。天気は晴れ、適度な風が吹き、日本の5月の頃のような天気で非常に爽快だ。登山道は緩い斜度で広い。火山の山なので、所々に溶岩の流れたような場所を横切る。この山は全て火山の噴出物でできていると思われるが、それにしても膨大な量の溶岩や火山礫・灰が噴火で吹き出たのだろう。雨が少ないのか、道はそれほどえぐれてはいない。この山に登山が始まり100年ほどで数多くの人が登っても深く掘られないのは雨の少なさによるものなのか。潅木は1mくらいのカイズカイブキのような植物が多い。岩の上には地衣類が生えている。3257m地点で12:00になり休憩、気圧は693hpa。さらに歩いて13:05に休み、パン、フルーツ(スモモ、バナナ、オレンジ)を食べる。3550m、14:30でも休み。左右は開けた草原のようで小さい木もある。日本の森林限界は2500mとされているので熱帯地方なので相当高いところにある。

 


日本のアザミの仲間と思われる花で、花束のように咲いている

同行のKさんは最近、アンボセリ国立公園に行った経験を話しておられた。象の群れが生息する向こうに氷河を抱いたキリマンジャロが見えるこの公園からのキリマンジャロが最も美しいという話だった。また、K氏はスワヒリ語や英語がかなり達者で、現地ガイドと話していた。ジャンボ=こんにちは、ポレポレ=ゆっくり、ハラニハラニ=早くなど。

登山道は下山する人、荷物を持って上がる現地ポーターなどすれ違いが追い抜きもあった。

現地ポーターはすれ違いに「ジャンボ!」と言っていた。英語圏の方だと“congratulation!”と声をかけると”thank you”と返事をした。中国人や韓国人の場合も登っていた。標高が3700mほどになり尾根の向こうに鉄塔が見えた。進んでいくと20棟ほどの黒い山小屋がまとまって建っているホロンボハットが見えた。15:40着。周囲にはソテツを大型にしたようなデンドロセネシオが群生しており、とても目立つ。本当に異国に来たと感じさせる景色だ。

 早めに着き、お茶を飲む。ここの標高が3700mで高所障害が出る高さなので、松本ガイドから注意や、SPO2の測定・記録の話がされる。呼吸法については、深くすること。息を吐くときはお辞儀をするようにして吐くこと。指に付けて図るパルスオキシメーターでの初期測定値が70台でも深く呼吸をして90台にする。通常の気圧では98前後になる。頭を冷やさないようにする。シェルパはしっかりしたジャケットとズボンをはいているのは体力を消耗しないことを知っているから。この時から、朝昼晩と酸素濃度の測定記録が始まる。6:00夕食、チャーハンのようなご飯に煮込みのシチュー。同行の方々も美味しいと沢山食べていた。マンゴーがデザートに出た。美味しい。夕食後、外に出るとキリマンジャロの頂が北西に見える。白い氷河が見え、東北にマウェンジ峰が見える。霧がかかり、鋭い岩峰が見えた。明日は1日高所順応日だ。日本の山小屋と違い他人とはベッドが別れているので安心して眠ることができる。持参したシュラフの中でぬくぬくと寝入ることができた。

 ホロンボハットのトイレは白のタイル貼りで水洗、シャワー(水)もついている。ただし、洋式の便器に便座は無く、和式のトイレは水を流すと便器から溢れるなど直す人もいないのかと思った。

 私たち10名のために現地のスタッフは10名以上付き、食事作り、荷物運びと登山を支えてくれた。食事の食材や燃料(プロパンガス)飲料水など全て人力で運んでくれた。おかげで登山者はデイパック1つ背負い歩くことができた。現地のスタッフを雇うことで現地の方の収入にもなるのだと松本ガイドから説明受けた。

20日(火)<晴れ後曇り>ホロンボハット8:30ーゼブラロック9:50ーゼブラロック尾根10:20/10:40ーホロンボハット11:30

 4:00頃目を覚ます。トイレに行きながら星空を眺める。オリオンが西に傾いている。シュラフに入るが少し寒いくらいだ。6:00に起きる。東の空、日の出を見る。日の出は日本よりも30分くらい早い。7:00朝食。お粥、さけ茶漬け、梅干とありがたい。O2濃度は深呼吸すると98に上がる。今日は終日、近くのゼブラロック往復で高所順応を図る。8:30発。小屋の北に向かい、礫の多い道を登る。視界良好でセネシオの群生があり、マウェンジ峰もよく見える。ぎざぎざの稜線は妙義山のようでもある。会話をしながら登ると息苦しくなるので、深呼吸をする。しばらくしてゼブラロック。岩場があり縞になっているのでこの名前なのだろう。溶岩流の先端が風化して切れ落ちたようだ。小休止してその岩の南脇を登る。すると突然、キリマンジャロが全山見えた。あの山にのぼるんだと感動する。植物は一切ない、砂礫でできている。頂上に氷河。最終宿泊地のギボハットも見えている。登山道も登山者も見える。ここまで来たという実感が湧く。写真をとり、小休止。ここで4000mほど。下山する。途中にはまだ草植物が生えており、乾燥、低温、日光に耐えて黄色の花などを咲かせている。

 ホロンボハットで洗面と昼食。食パンとジャガイモのシチュー。これは美味しかった。午後は休養なのでおしゃべりタイム。Tさんの自家製ブルーベリーをデパートで販売しているとの話が印象に残った。まだ、時間があるのでKさん、Fさんとおしゃべり。15:00にはまだ時間があるので、西に続く道を散歩する。ここまでは車道が続いているのだが大変な斜度がある。往復小1時間。黄色の花、針葉樹の花などが咲いている。日本のアザミの仲間がある。葉はとげがたくさんある。花は茎の先端に日本のアザミの花を束ねたように6個ほど付いている。花は咲いているが昆虫はいない。木片が落ちている。年輪は見えない。気温は同じようで雨の多少だけなのか。3:00小屋に戻ってお茶タイム。最近の登山についてなど談笑。6:00夕食。パスタ。ナンのような食べ物。スイカ。男8人、女2人ガイド1人で狭いテーブルだが食欲旺盛で声掛け合いながら元気に食べる。6:30頃日入。雲はあるが晴れそう。7:00過ぎに眠りにつく。

 


ゼブラロックからのキリマンジャロ

サドルと呼ばれる砂礫地帯を登る

 

21日(水)<晴れ>ホロンボハット8:00ーギボハット14:45

車道を500mほど歩き登山道に入る。草木はさらに低くなる。砂礫地帯にさしかかる。この付近にはカラスの類の鳥、小鳥を見ることができた。日本のカラスより一回り大きく黒色であるが、背側首の付根付近に横に白い線が入っている。なぜそうなのかは分からない。中間のトイレのある場所までに水の流れる小川が1本、湿地が1箇所あった。湿地にはうす緑のコケが生えている。緩斜面の大平原が広がり、東方にマウェンジ峰、西北方向にキリマンジャロが聳えている。朝、うっすら白くなっていたキリマンジャロの頂上付近は、日光で雪が融けているが氷河は白く輝いている。トイレポイントを過ぎると赤茶けた広い砂礫地帯で「サドル」を呼ばれている場所を歩く。緩い傾斜の砂利道のようだ。植物もほとんど生えなくなっている。標高4300m、11:40に風を避けて岩の横で昼食をとる。パン、焼いた肉、バナナ、オレンジ、茹で卵。バナナは小さく、甘い。大きいバナナは生ではなく、料理に使うようだ。バナナの煮込み料理を後で食べたがジャガイモのような食感であった。同行する現地ガイドは少し食べているようだが、近くで休んでいる。少し打ち解けてきて、英語で会話する。カシオのプロトレックの腕時計を着けているガイドに「いい腕時計だね」と話かけると私の時計と「チェンジ」というので「私の腕時計は高い。」というと笑いで答えていた。現地ガイドの装備は貧弱で運動靴程度で登っている者もいる。砂礫地帯をさらに登って行く。数kmの見渡す限り、赤茶けた砂礫地帯である。火星の表面を探査機が写真撮影をしたが、その写真そっくりである。

サドルの中ほどで方向を北北西に変える。ギボハットの小屋とその後ろに聳えるキリマンジャロの本体が見える。だらだらと登り、14:45ギボハット着。しっかりした石積みの壁のある小屋だ。O2は85、脈拍101、深呼吸して96に上がる。大丈夫そうだ。高山病の症状を感じないが、やや頭が重いかと感じることがあった程度だ。MさんはO2濃度が上がらない。表情も苦しそうだ。外に出て景色を眺める。南西にマウェンジ峰5151m。4700mのギボハットよりも400m高い。西に直ぐ斜面が駆け上がるキリマンジャロ。小屋の近くまで大岩が迫ってきている。ここを1000m登りギルマンズポイントへ、さらに200m高度を上げウフルピークへ。ぜひと登りたい気持ちが高まる。小屋の日陰には雪が1cmほど積もっていた。岩の上を歩くとバッタを2種みつけた。3cmくらいのカワラバッタのようなバッタと1cm位のヒシバッタの類。日本のバッタと同様に体の構造は同じだ。岩の色に近い薄茶をしている。

5:00夕食、6:00就寝。


22日(木)<晴れ>ギボハット0:00ーギルマンズポイント5682m6:35ーウフルピーク5895m8:35/8:50ーギルマンズポイント10:00ーギボハット11:35/13:15ーホロンボハット16:30

夜は11:00に起床し起床後、水分補給し、装備を整え皆がそろったところで小屋の外に集合する。0:00に出発となる。かなりな急坂を登るので汗をかくと思い、フリースに上着を着る。外気温は0度位。現地ガイド、松本ガイドが先頭を歩き、女性2人、私は後ろの方だ。暗い中ヘッドランプでゆっくりと歩く。砂利道でジグザグの道である。ゆっくり歩きなので汗もかかない。体が温かくならないので2回目の休憩でダウンジャッケットを着込みフードをかぶる。同じような道を歩き続ける。とにかく、深い呼吸をすることを心がける。5000m付近にまで達したころ、2名の同行者の体調が悪くなり、現地ガイドと下山することになった。他の者は大丈夫で、さらに高度を上げる。6:00頃、東の空が明るんでくる。5000mを越えた、この時間、場所がギルマンズポイントの手前の一番の「難所」であった。大岩ごろごろ。前に登る同行者が朝日に染まる。だが既に、稜線を見上げると標識が立っているのが見える。呼吸を整え稜線に登ると一気に西側の景色が開け、ギルマンズポイントに達したのが分かった。「やった!」とガイドと握手を交わした。絶景だ。西北に広く火口原が広がる。北に氷河が白い。西には外輪山の稜線が続く。その北には雪が白い。小休止の後、あと標高差200mを登る。稜線の北側、南側を歩き、高度を上げる。南側に階段状になった氷河がある。以前は1枚の氷河だったそうだが割れて段差が生じたそうだ。麓から見ると小さいが100mほどの近くで見ると高さが10m以上もあり迫力がある。吐く息は白く、ザックの上にも霜が付いている。あとピークまで数百mという地点で、2人が「もう、だめだ」の声を上げる。もう歩けないようでその場に立ち止まってしまった。私は、ウフルピークの標識も見えたので走り出したい気分だったが、ゆっくりと近づき、ウフルピークに達することができた。ガイドと握手し、周囲をゆっくり眺めた。ここがアフリカ大陸最高峰だ。サングラスをかけていたので空の色が分からなかったが青黒い色だった。周囲を見回せば、白い雲の海で山には氷河が西北に、北に、南に白い。頂上からは火口は見えず薄茶色の平原が広がっているのみ。気圧を測ると502hpsでなんと地上の半分しかない。呼吸が苦しいのは当然である。記念の写真をとり、下山する。結局8名はウフルピークに達し、十分な達成感を味わい、下山を開始。足取りも軽くどんどん標高を下げる。ステラポイントを過ぎ、ギルマンズポイントで休憩した。ここからは下のギボハットの小屋も見える。空気が澄んでいるせいか、直ぐに着きそうな感じである。だが、この後の下りもそれなりに大変であった。富士山御殿場ルート大砂走りの下り道と同じような砂礫地帯を下ることになった。1足で1m以上も進み、砂埃をよく巻き上げた。途中に岩場があり、ルートが分かりにくく、転ぶ者もいた。また大岩もあり、岩が火成岩であるのが分かった。真っ黒で良く光る石もあり、ガラス質の石のようであった。気が緩んだのか、グループがかなりばらけ、離れたりした。ガイドの助けも受け、無事にギボハットに到着した。0時発で約12時間を行動したことになる。靴の埃を落とし、食堂に向かった。
  
上:山頂の氷河 下:無事に登頂を果たす

昼食のメニューは「ラーメン」と聞き、期待してテーブルについた。だが、インスタントラーメンを少ない水で煮ただけのようであり、お椀半分ほど食べて終わりにした。これは疲れて食欲がないことも影響しているかもしれない。

 荷物をまとめ、サドルを下る。足の速い人はグループの動きにかまわず歩き、離れてしまった。現地では登山者を狙う強盗も出ているという話もあり、グループから離れるのは自ら危険を冒しているとも言える。単独行の者の癖かもしれない。登頂した満足感があり、天気も安定し、現地ガイドも気楽に話しかける。「はしもと」と覚えてくれたガイドは34歳の男性でPonsiani(ポンシアーニ)さんと言った。英語がある程度話せ、家族は奥様と2人の子どもがおり、上の子は学校に行っているという。途中からクリスマスの話になり、「プレゼント」と言い出した。にこにこしているので半分冗談で言っているようでもあった。予備のボールペンをプレゼントした。話しながら、周囲の景色や植物を見ながらホロンボハットにやっと着いた。この日は約12時間+3時間=15時間の行動時間であり、さすがに疲れた。夕食後早々に眠りについた。5000mで下山した1名は症状が思わしくなく、車でゲートまで下りることになった。

23日(金)<晴れ>ホロンボハット7:15ーマンダラハット12:30/13:00ーマラングゲート16:40

 往路を帰るのみ。一定の速さで歩く。晴れて景色はよく見える。行きの道で撮影できなかった草花や景色を撮る。プロテアのクリーム色の花も目立つ。ちょっと高くなっている場所の道の下には岩が枕状になっている場所もあり、この山が溶岩を流し、噴石を吐き出しできたのだと推測できた。グーグルアースで見ると分かるが、キリマンジャロは周囲をリング状濃いい緑で覆われており、降水が途中から染み出て、この緑を作り出しているのかと思う。それにしても、約6000mの高さ、東西60km、南北40kmのこの山を作り出したそのエネルギー、噴出物は莫大な量であったろう。

 マンダラハットに向かう樹林帯に入る。ホロンボハットからは松本ガイドは、下山手続きのため先に下りることになり、現地ガイドと一緒の行動である。その後半は私がリーダーということになり、現地ガイドと話しながら歩く。途中の分岐点で後ろの者が離れているので待つことにした。まとまったので出ようとすると同行者の一人が「休憩したい。」と言うので水分補給をする。あとどのくらいで休憩かと尋ねると「テンミニッツ」と言う。歩いて、歩いて30分も経ってやっと休憩ポイントであった。時間はかなりアバウトなことが分かる。ガイドは速く山小屋に着きたいらしいが、皆は疲れもあり、ゆっくりペースであった。小屋に近づいた頃、木の上に白黒のサルが数頭いた。白黒コロブスモンキイだとガイドが教えてくれた。

 マンダラハットで昼食をとり、さらに下り、気温も高くなり、見覚えのある風景があり、遂にマラングゲートに着いた。一同笑顔でゲートを出ることができた。

 マラングゲートのレストハウスで登頂証明書が授与された。同時に現地ガイド会社Lions Safari(ライオンズサファリ)ら記念のTシャツもいただいた。そして現地スタッフの歌とダンスの披露があり、記念撮影をした。現地スタッフはガイドが4人、O2サポーター2人、コック2人、ポーター延べ24人が10人の日本人登山者を支えてくれた。この方達の助けもあり、登頂を果たすことができた。