埼玉県熊谷市の山岳会 海外トレッキング、登山、山スキーなど幅広く活動しています。
近畿中四国
【ピークハント・ハイキング】大峰山、熊野古道
大峰山に登り、熊野古道を歩く
山域山名:紀伊半島大峰山(八経ヶ岳、弥山) 熊野古道(尾鷲・馬越峠ルート)
期日:2023年6月25日から27日まで
参加者:L橋本 須藤
上:静かな八経ヶ岳山頂 下:清楚なオオヤマレンゲは数輪開花
行動記録:
6月25日 大峰山1日目<天気曇>
熊谷5:00=東松山IC=関越道、圏央道、第二東名等=大和郡山IC=一般道=行者還トンネル西口P13:00/13:10-出合14:30-弥山小屋16:50 弥山小屋泊
高速道路500kmを順調にひた走り、奈良盆地の南の大和郡山ICで下りる。橿原市までも高架の道路で順調に走る。桜で有名な吉野山付近から両側からの山が迫る。信号機も無く、渋滞も無く、30分ほど早く着くかと思っていたら、天川村の幹線道路からのトンネルに至る道は崖の道で狭く、3回ほどすれ違いに苦労し時間を食った。結局トンネル西口には、計画の13:00になった。1000円の有料Pは満杯、少し手前の無料Pに停めた。
曇りだが蒸し暑い天気の中、出発した。橋を渡った所に「世界遺産大峯奥駈道弥山登山口」の案内板があり、そこから右の山道に入る。沢沿いを少し歩き、沢に架かった小橋を渡り尾根に取りつき、そこから尾根を登り始める。広葉樹が茂り、緑が濃い。尾根で表土が流れ木の根が道にたくさん出ている。世界遺産になり、登山者が増えると地元の経済振興にはなるだろうが、表土が流され、木の根が剥きだしになるのではないか。急登で息を切らし、汗をかきながら登る。少し登るとシャクナゲや木肌が赤茶のヒメシャラなどが出てくる。「シャクナゲが咲いていないね・・」とシャクナゲの葉の真ん中を見ると咲き終わった花柄がついている。5月末頃に咲き終わったのだろう。林床には枯れ木、落ち葉が積もり苔も生えている。下ってくる登山者にもすれ違う。尾根の出合手前にはツツジの木が増える。地図にはシロヤシオとあるので、シロヤシオの木だろう。花は全然なし、落ちてもいない。相当前に咲き終わったのだろう。下山の方に「オオヤマレンゲは咲いていますか」と尋ねる。「一輪だけ咲いています。」との返答。
出合からは大峯奥駈道で、1600mピークまで緩い登りでその後数十m標高を下げ鞍部に下る。尾根が広く、ツツジなどの大木が生えているが、広葉樹林で明るい。木が高くならず、ずんぐりむっくりで盆栽のようだ。鞍部から少し進んで、聖宝の宿跡には理源大師の像がある。ここからはまたまた急登になり汗が出るので水分を補給しながら高度を上げる。木々もブナやモミなどの常緑樹の混交林になり、その下にはバイケイソウが一面に広がり花芽を付けているが開花直前だ。曇りだが雨は降らず、やや暗い。高度を上げると、登山道に木道が設置されている。その周辺には広くカニコウモリが群生している。地味な花だが、開花の時期には少し華やかになるだろう。亜高山帯の常緑樹が増え、木の幹には苔が生えており、普段から雨、湿度が高いようだ。今夜はこの上の小屋泊りとゆっくり目に歩いていたので、50分ほど予定より遅くなり、小屋の呼び鈴を押した。「5:00から夕食ですよ。」と温かく案内していただいた。夕食をとり、暖かい山小屋で、ゆっくりと休む。
(橋本記)
バイケイソウの花は、白っぽく、おしべは花弁より短い
6月26日 大峰山2日目 <天気曇>
弥山小屋6:35-八経が岳7:05/7:15-弥山小屋7:40/7:50-聖宝の宿跡8:35-奥駈道出合9:35-行者還トンネル西口10:45-駐車場10:50/11:05=熊野本宮大社、大斎原14:00/15:00=尾鷲16:40
5時に起床して窓を開けると一面、ガスに覆われている。夜中、風の音が聞こえていたように感じたが、全くの無風。6時の食事前に弥山に小屋のサンダルで行き、天河弁財天奥宮にお参りする。鹿が2匹すぐ近くで草を食んでいる。
食事後、空身で八経ヶ岳に向かう。相変わらずバイケイソウの大群落が続く。一部道は流され、斜面崩落の所もある。鞍部の鹿よけ柵を開けるとオオヤマレンゲの清楚な白い花が数輪目の高さに咲いていた。、蕾も目に付くがそれ程多くは無い。この辺りはこの花の自生地との事であるが柵に守られたエリアにのみ、多様な植物が生存できる状況下にあるようだ。柵を抜け、少し登ると枝の間に錫杖が見える。そこが近畿地方最高点の八経ヶ岳頂上だが、ガスで眺望は全く無い。写真を撮り15分で小屋に向かう。大峰山とは山塊を示す言葉で100名山の大峰山は最高峰の八経ヶ岳を示している。
小屋に別れを告げ下山開始。世界遺産に登録に伴い整備されたという木製階段を下り鞍部から見上げると山頂部は雲の中、その下は見通しがきく。楓が多くきっと綺麗な紅葉がみられるのであろう。昨日は多くの登山客とでであったが、下山するまでに1桁の人にしか会わなかった。途中で枝の間から見えた山並みは幾重にも重なり、この地域がいかに山深いか実感できた。大峯奥駈道出合に別れを告げ急斜面を下る。幸い雨もパラパラ位で良かったが、本格的雨ならこの土の急斜面はつらかったに違いない。それでも四苦八苦しながら下ると沢の音が聞こえてきた。沢の水は冷たく心地良い。水に恵まれた地帯であると実感する。 昨日は満杯であった2つの大きな有料駐車場は空っぽ。今日の人達は管理棟前に置いたのであろう。
着替え後、行者還トンネルを抜け熊野本宮大社に向かう。このトンネルは立派であり、抜けると景色も昨日は異なり、谷は深く、緑一杯の山は大きくどこまでも続いているようで、初めて見る風景である。道はどんどん下るが谷は深いまま。いつの間にか川は豊富な水をたたえ。それがどこまでも続く。道は下っているのに水面の高さはあまり変わらない。複雑な山並みをいくつかのダム、貯水機能と組み合わせ巨大な貯水エリアが作られているのが帰宅後わかった。
十津川村も同じような風景があり立派な数多くのトンネルを抜け、熊野本宮大社の駐車場に到着した、
神仏習合の本宮大社(神を父、仏を母にいただきて熊野より興さむ出発の時の垂れ幕が境内にあった)にお参りし、明治22年の大水害まで大社があった大斎原(おおゆのはら)にいく。今は大鳥居のみがあり、杉やヒノキの大木が当時を彷彿とさせている。昨日今日奥駈道を歩き、熊野古道の出発地であり、到着点でもあったここを訪れ、満足感に浸る事が出来た。
今夜の宿の尾鷲市に向かい熊野灘の一部を見ながら走る。途中熊野古道の看板が数多くあった。尾鷲の町もどこもひっそりしており、そんな中、海近くの予約ホテルに無事到着。
外で食事、魚とビールが美味しかった。ホテルの近くの尾鷲神社に樹齢千年と越える大きなご神体の楠2本があり宝永の津波でも生き延びたとのこと。夕闇に浮かぶ山々は本当に海に近い。明日5時起床、6時出発に備えて早めに寝る。快適なホテルである。
上:17世紀につくられたと言われる石畳道 下:林床にはシダが茂り、苔もきれいだ
6月27日 3日目 熊野古道(尾鷲馬越峠コース) <天気曇>
ホテル出発5:30-休憩所6:20-馬越峠(まごせとうげ)7:05/7:15-天狗倉山(てんぐらやま)7:45/8:05-電波塔-馬越峠8:45-登山口10:00=ホテル駐車場着10:45=道の駅海山=海山IC=熊谷17:10
5時前に起床し、手持ちの食料を摂る。不要なものは車に残すべく選別。青空も見え雨の心配はない。
6時に出発、熊野古道、馬越峠の表示に従い一般住宅の間の狭い道に入る。ここは伊勢路と呼ばれる6本程ある参詣道の一つであり、伊勢神宮に繋がる道である。地元の人と声を交わしながら登ると宝永津波供養塔があった。地元の方も東南海地震を大変心配されていた。道は大きな墓地を抜けると1mもあるシダが目立つ山道になり、やがて石畳になる。これは江戸時代紀伊藩が中心になって路面流失防止と草木の繁茂防止を兼ねて、整備したとの掲示があった。道は更に急になり杉、檜が密集し、風も抜けず本当に蒸し暑い。そうこうしているうちに峠に到着。地元の方は今が一番蒸し暑い、夏はもっと快適ですよと言っていた。この峠には昔は茶店もあったそうで納得できる。
天狗倉山は頂上近くから大きな露岩が多くなり、岩の間を登ると祠があった。祠の脇には鉄梯子が掛かった大きな火成岩があり、登ると眼下には尾鷲の海、町が良く見え当地がいかに平地の少ない所かよくわかる。記念撮影を行い最高点の電波塔のところに行くが草木で眺望が利かない。峠に戻り紀北町方面に下ると石畳は濡れ、苔も生え滑りやすく大変難儀して下る。こんなことならアユ釣りに使うスパイクでも持ってくればと思いつつ、もう古道は十分と感じていると、国道に出た。今日の古道は中辺路(なかへち)参詣道程一般的でなく、ザックを背負った観光客には会わなかった。丁度尾鷲行きのバス停があり、10分程待ち、予定より早く駐車場に戻る事が出来た。
紹介された港近くの干物店は休みで帰途、昼食とお土産を購入した。大台ケ原を水源とし奇跡の川といわれる銚子川も渡った。車は渋滞に巻き込まれることも無く予定通りの時間に帰る事ができた。
この3日間、最も印象に残った事は、紀伊半島は想像以上に山深いエリアであるという事だ。アルプスとは違い山は木々に覆われ谷は狭く深い。川は蛇行に蛇行を重ね、その昔、権力者の避難先に選ばれたのを納得する。今はトンネルも数多く作られており、生活環境は向上したでしょうが、それでも厳しさは感じました。
それから長い間の願望であった熊野古道2カ所を元気に体験でき、嬉しかった。
(須藤俊記)
上:天狗倉山頂は火成岩の大岩の上 下:ササユリが熊野古道の脇に咲く