【ピークハント・山スキー】ケダルナートドーム

投稿日時: 2023/06/24 hasimoto

2023インドヒマラヤ遠征記録

ヒマラヤの高山で山スキーに挑戦する=

ケダルナートドームは堂々とし、周りの山々と比べ丸っこい                

                       記録担当 橋本義彦 

山域山名:インドヒマラヤ ケダルナートドーム(6831m)

登攀隊メンバー:橋本 会員外(L真 上野 宮入) 

期日:2023年4月27日から5月22日

※この山行は、埼玉県勤労者山岳連盟海外委員会の企画です。

※敬称略、時刻はおよその時刻

 

 最高地点標高5880mC3に4名全員到達

 

4月27日(木)天気(晴)

北本駅4:00-羽田空港6:30-離陸11:05-機内食12:30、17:40-デリー空港16:55(以下インド時刻、時差は-3:30日本の時間より遅い)IMFドメトリ(Indian Mountain  Foundation)18:30-夕食(ライス チャパティ カレー カレー風野菜煮込み、ヨーグルト)19:30

登攀隊4人は山スキーの装備もあり、ワゴン車利用で、北本駅、他のピックアップ場所で次々に人と荷物を乗せ、首都高を使い、羽田空港に向かった。余り混むことなく、無事に羽田空港に着いた。荷物を出発階の3階に運ぶ。JALの預け荷物窓口に行く。スキー用具一式とスキー靴等のザック2個を受け付けてもらう。スキーは、規格オーバーで追加料金が必要かと心配するも、追加料金は生じなかった。多少の余裕が生じ、ラウンジなどで休む。搭乗時間が近づき、出国審査(自動)、保安検査を通り、搭乗口に行き、待つ。

 搭乗開始となり、斜路を通りバスで航空機まで行き乗り込む。無事に離陸した。機種はボウイング787-9で400人ほどの定員。11:30に飲み物とあられのサービスがあり、その後、和食か洋食の機内食となった。和食は鳥炊き込みご飯、おかず3品、アイスも付く。

 日本上空では雪の南アルプスが右側に見えた。西に進み、中国上空を飛び、安定して飛行した。中国付近は、綿雲の下に集落が広がり、所々に銀色の建物が建つ。ミャンマーの北部付近では丘陵地、森、道、川、耕作地、住宅が見える。バングラデッシュ北部付近からは雲が飛行機の下に層状に広がる。20分ほど乱気流で機体が揺れる。インドに入りガンジス川の上空を飛ぶが厚い雲のため地上は見えない。

 所要9時間で、気温37℃、乾いて埃っぽいニューデリーに到着した。荷物受領後、駐車場に運び、現地の迎えの車に荷物を積み込む。現地のスタッフかと思っていた男性が急に「チップ」と言ってきた。「親切な人」がいたら注意が必要だ。

 1時間ほどでIMFに着く。途中の交通事情に、ハラハラドキドキであったが無事にIMFの事務所に到着した。事務所は広い敷地の中の鉄筋コンクリートの茶色の建物でどっしりと建っていた。ドミトリに案内され、荷物もそこに運びこんだ。広い部屋でベッドは13人分あり、トイレ、洗面所、シャワールームが完備されていた。エアコンは無く、天井扇が設置されていた。屋外の敷地も広く、屋外の登攀壁が設置されていた。太い木々もあり、野鳥の大きな声も響き渡っていた。

 食堂で夕食が提供された。鍋にカレー等がまとめて置かれ、各自の金属の皿、椀に取り分け、スプーンでいただいた。お代わりをして食べる人もあった。時差もあり、各自、眠りについた。

 

4月28日(金)天気(晴)

朝食(食パン ジャム等 オムレツ)8:00-IMF展示室見学9:00-登攀隊ブリーフィング11:00-真親戚宅、昼食等(ライス チャパティ 山羊カレー 野菜煮込み マンゴ ビール 豆のおつまみ)13:00-テンプルナマリ15:50-インド門17:40-コンノートプレイス・レストランエンバシで夕食(チャパティ ホウレンソウ炒め バター・チキン・ダルカレー)19:30-IMFドミトリ21:50

 朝食後、山中トレッキング隊長から、食堂に飾ってある山の写真を見ながら、その説明を聞く。ナンダパット等の山々について日本隊の登頂についてなどであった。

 IMFの建物内のテンジンノルゲイミュージアムを皆で見学する。1953年5月23日11:30エドモントヒラリとテンジンがエベレストの初登頂に成功したとある。その後のエベレストの登山史も掲示されている。女性の登山者も紹介されている。当時の登山の装備、服装、道具も展示されている。地質学的な説明もあり、1年間にチベット側に67mm、上に40mm移動しているとも表示されている。英語表記であるが、エベレスト登山史がコンパクトにまとめられており概観することができた。

 登攀隊4名は、11時から別室で、ブリーフィングに参加した。職員2名、リエゾン1名(ナビーン)が参加した。IMFの理事から説明、注意を受けた。内容は登攀隊のことについて、登頂する山、ルートについて、事前の提出事項を守ること、ゴミ処理、許可した以外に立ち入らないこと、IMFから派遣されるリエゾンの指示に従うこと、軍の管轄地域に立ち入らないことなどであった。自己紹介し、握手をして、全員で登頂の成功を祈った。

 1時間ほどのブリーフィング後、デリー市内にある真親戚宅に移動し、成功を願って乾杯し、昼食を摂った。タクシーで真の学んだ高校の南側の公園とヒンズー教ラクシュミナラセン寺院を訪れた。木々が繁りサルがいる公園には、現地の方々が、寛いでいたり、歩いていたり、祈っていたりとゆったりと過ごす様子が見られた。ブーゲンビリアも色鮮やかだ。隣接する寺院も真の案内で見学した。真はヒンズー教徒で寺院壁面に彫られた神々を詳しく説明した。高校時代には、この寺院にも出入りしていたという経験も話していた。古そうに見える総石造りの寺院は、それほど古くはなく、財をなした財閥の方が、1938年に作ったと聞き、インドでの信仰心熱い方の多さを実感した。

 インド門に移動し見学した。駐車場に車が多く、インド門の敷地内は人が溢れていた。石作りの池の西には大統領府の建物も見え、デリー中心部だと感じる。巨大な茶色の石作りの門は、第一次世界大戦の戦死者を悼む建造物であるという。イギリスの植民地であったインドは西洋の石造建築の影響でこの建造物を作ったのであろう。

 移動して、コンノートプレイスの高級レストランEmbassyに入る。参加者全員で夕食を摂る。街は店のネオン、街灯、車等で賑わっていた。

 

4月29日(土)天気(晴)

IMF5:20-<車での移動>-CHETAL GRANOで朝食(焼きそば、チャーハン、飲み物)7:10-休憩(チャイ、マンゴジュース)10:30-The Winter Line昼食(チャパティ、焼きそば、カレー)12:40-ホテルShriRam Chamba15:00-真親戚宅16:35-ハイキング裏山山頂18:20-チャンバBostonBites夕食(スープ、ライス、カレー、ナン、チャイ)20:10-ホテル22:00

 IMFに車が来たので、荷物をトランクと屋根に積んでデリー市内から北に向かって走る。片側3車線の高速道路だ。日本の高速道路と異なり、周りから出入りはでき、サトウキビジュースの店も出ている。途中何か所か料金所がある。料金所で渋滞しているとその車の間を物売りが通る。Dhabaというレストランで朝食をとる。4時間は畑の多い平野部を走り、やっと北の方に山が見えた。ハリドワールという川が平野部に出た場所には街があり、激しい渋滞になる。車道からも川岸が見え、ヒンズーの沐浴場だと分かる。その周辺からは、急に森が増え、落ち着いた景色になる。さらに川を離れ、山麓の細い道をくねくねと進む。山の上なので谷を見下ろす。そこのレストランで昼食にする。WIFIが通じると、スマホで接続を試み、久々の日本の情報を入手する。

 チャンバは、山の上の街で、いろいろな店があり、結構賑やかだ。人通りも多い。とりあえずホテルに荷物を下し、一休みしてから、真親戚宅へ30分ほど車で移動した。ニューテリという街で、真親戚宅は下車後5分ほどの山の中腹の鉄筋コンクリートのテラスハウスのような家であった。親戚の皆さんに挨拶をし、飲み物をいただいた後、裏山にハイキングに出かけた。乾いた松林の斜面を登り、山頂に行くと日本とは違った景色が広がっていた。下山は別の道を通り、白いバラ、アザミの花や日本にない花など見ながら下る。

 ホテルに戻ると既に暗くなっていたが、歩いて近くのレストランに行き、遅い夕食を摂った。

 

4月30日(日)天気(晴)

ホテル6:05-<車での移動>-DEVOHAR DUHDA朝食(チャパティ、カレー、ラーメン、チャイ)8:50-ウッタルカシ10:10-検問11:15-HOTELGRANDVIEW休憩12:10-カンゴトリ宿舎MANDAKNI GUEST HOUSE 15:00-同所昼食(チャパティ カレー スープ パーパル 野菜カレー煮)15:50-登山道ハイキング17:10-夕食(スープ 焼きそば パスタ)20:00

 チャンバのホテルから、山間の曲がりくねった細い道を走る。しばらく走ってから朝食になる。ウッタルカシの街を抜けた場所の道路横の駐車場に駐車し、休憩と山に入る手続きをする。10台以上の車が停まっている。両側の山はさらに急峻な岩山となる。岩山には木々は生えていないが土のある場所には木々が生え、広葉樹から針葉樹になっていく。道沿いに家々があり、耕作地もある。リンゴの木々も植えられている。紫色の花を咲かせた木々がある。ジャガランタという木だ。他にも見たことのある灌木の花が道端に咲いている。ランタナという花で、ここが自生地だと知った。細い橋を渡り、急に交通量、停車する車が増えた場所に着いた。登山口のカンゴトリだ。駐車場は車で、通りは両側が店で、人がごったがえしている。その人混みを抜けて、宿泊場所のゲストハウスに到着した。現地もスタッフから花輪をプレゼントされ、顔合わせをする。ゲストハウスは両側を雪が残る高い山に囲まれ、相当標高をあげたと実感する。

 一休みの後、ヒンズー寺院にお参りする。ガンジス川では沐浴する人もいる。さらにタポバンに通じる登山道を皆で、足慣らしで歩く。日本では見かけないほどの太いヒマラヤスギがあったり、甘い香りの草があったりと日本と異なる植生に違う国、場所に来たと実感する。宿舎に戻り、IMFから、トレッキング隊には天候もあるのか、登山許可が出ていないこと、翌日の天気予報は雨がちで、ガンゴトリ周辺のハイキングをすることなどの打合せをする。この宿舎も、シャワーはあるものの温水が出ないなど不具合があり、標高が高いのに暖房は無く、夜休んでいても寒い位だった。

 

5月1日(月)天気(小雨、曇り)

 朝食(トースト チャイ コーンフレーク ミルク)7:00-ルドガイラカラックハイキング8:30-トップ11:40-ランチ(バナナ 茹で卵・ジャガイモ チョコバー マンゴージュース)13:00-宿舎14:10-お茶15:00-夕食(チャパティ モモ ピラフ 野菜クリーム煮)・打合せ19:00

 外は霧雨。天気が悪いのとトレッキング隊に登山許可がでないので、カンゴトリ南の山のハイキングに合同で出かけることにした。橋を渡りガンジス川左岸を下流に歩く。直ぐに、大きな滝に出る。大きな岩が削られ水量の多い滝となって滝壺に落ちている。その付近から登山道は山に登っていく。太い常緑の木が何本もあり、更に登るとカンバの林もあり日本の少し標高の高い付近の雰囲気である。新緑になっていないもののコザクラの類、ハグマの類、ネギやニラや行者ニンニクの類もあり、ほとんど日本の山の雰囲気だ。付近をサルが横切る。長方形の穴が掘ってあり、何の穴かと思う。径数㍍の大きな岩もあり、氷河の最大時はここに氷河が運ばれたのかとも思う。高度を上げ平らな場所で休憩する。川を挟んでガンゴトリの街が見える。今度は、南に延びる沢に沿って登る。登っていくと右手の沢に雪渓が白く見える。そして大岩の上に出た。激しく水が流れる。水音もする。まだ登る。崩れやすい斜面を横切り、大岩に架かる細い木の橋を渡る。この大岩はつかむ所も無く、ガイドに補助してもらい岩の上に行き、橋を渡る。その先は土の急坂で湿っているので更に慎重に歩く。30mほど登り大岩の下で少し強くなってきた雨をしのぎつつ休憩をとる。

 「今日はここまでで下ります」の指示に安堵する。また、補助を受けたりして、下る。落葉樹の林を抜け、登りで休憩をとった場所から真っすぐに沢沿いを下る。小さな発電所があり、その脇で昼食にする。空腹のお腹にランチがありがたい。宿舎に戻るかと思ったが、少し下流の大岩に案内された。岩の下に空洞があり、そこからは紫の煙が出ていて、ヒンズーの修行僧が暗い中で火を焚き佇んでいた。

 そこからは上流に向かう。ガンジス川が岩を削り幅3m位深さ20m位のゴルジュがあり、見に行く。天気は小雨程度ですみ、登山の準備ハイキングとしては、適度の運動となり良かった。

 15:00からのお茶の時間に、今後の対応について検討した。トレッキング隊のタポバンまでの登山許可が出ない場合、カンゴトリの周辺のハイキングをして許可が出るのを待つか、許可が出ないことを考えて、タポバンへのハイキングを断念し、別の山に登るかについての検討であった。夕食時にも継続して話合い、トレッキング隊の翌日から帰国までのことについても打合せをした。「その後、登山許可の連絡は無く、タポバンへの登山は断念し、テント泊りでのハイキングを行った」と、18日の下山後にエージェントから話を聞いた。

記録担当 橋本義彦 

※敬称略、時刻はおよその時刻

 

5月2日(火)天気(晴れ、曇り、小雨)

 朝食(チャパティ オートミールおかゆ チャイ)7:00-カンゴトリ9:15-入山事務所9:55-休憩1時間に1回ほど-昼食(チャパティ 茹で卵 ジュース)13:35-チルバサ14:10-夕食(ナン ライス チャパティ ダルカレー ジャガイモとオクラの揚げ物 ザクロ入りデザート)18:50 これ以降すべてテント泊

 朝食後、参拝者で混んでいる寺院に行き安全登山を祈願する。参道も人が多い。宿舎に戻りポーター達が荷物を背負い出発するのを見送ってから4人とガイドで出発する。1人で3つのザックを運ぶ人、スキーを運ぶ人と20人ほどいる。ロープ一本で荷物を束ね、末端を頭に付けて運ぶ。山麓を歩く登山道は石垣が山側にも谷側にも積まれ歩きやすい。40分して幾つかの建物があるKANGOTORI NATIONAL PARK CHEKPOST に着く。ここで入山の手続きをする。建物内、屋外に付近の花、鳥、蝶、動物を紹介する掲示物があり、野生動植物が豊かであることが分かる。チルバサまでは両側に木々があるが、まだ芽吹いていない。雪渓から流れる沢を渡ったり、木の橋を渡ったりするものの傾斜も緩く、危険もない。ガンジス川の反対側には常緑の松などが生えている。芽が銀色のネコヤナギのような灌木も生えている。大岩の下に薄紫色のコザクラの花が咲いていて、ホッとする。道からは氷河の水を集めて流れるガンジス川が見え、大石で白い流れになっている。小屋や倉庫のある場所で昼食を摂り、川の近くのチルバサのキャンプ地に着く。道の脇に残雪があり、相当に高度をあげたと実感する。キャンプ地には、ドームの建物があり、ここが調理場、ポーターの宿泊場所となる。登攀隊4人は、テント2張に2人ずつ入る。他に食事用テントがある。周囲は、カンバ、マツ、ヒマラヤスギの森である。

 キャンプ地での食事は、基本的に朝一番でテントまでチャイが運ばれ、朝食、昼食、夕食が食事用テントで提供される。時間が空く時にはちょっとしたおやつと飲み物が出される。登山日の昼食は携行できるランチである。チャイとお湯は、欲しいと伝えるとすぐに準備していただいた。

テントで落ち着いて、チャイ、ビスケットをいただいていると小雨が強まってきた。ポーターの一人が運んでいる灯油が漏れ、背中がそれで濡れ、赤くただれ、薬がないかと相談にくる。体験のある者が、洗ってからのロキソニン処方をアドバイスした。寒くなり、焚火が欲しいくらいだと感じていると、スタッフの一人が気を利かせて、食事テントの入口で焚火を起こし、暖をとらせようとした。木々は湿っていて中々火は付かず、そのうちにリエゾンのナビーンが来て焚火はここでは禁止と伝え、焚火は中止となった。

 夕食までは時間もあり、真がインドでの生活、学校生活、日本に来るまでの体験などを話して、3人は興味深く聞くことができた。

 安全な場所で焚火をしているので、暖まりに来ないかと声がかかる。そこでも中々火がつかず煙っている。どうにか赤い火が大きくなり、ポーター達10人ほどで周りを囲み暖まる。つたない英語であるが会話が弾み、ポーターはネパールからの出稼ぎであるという。若手は16歳、20歳といる。「いい時計持っているね」など簡単な話であるが盛り上がる。夕食を摂り、早めに眠りにつく。

 

5月3日(水)天気(曇り、晴れ、小雪)

朝食(オートミール ミルク 青唐辛子入りオムレツ)7:00-チルバサ発8:25-ボジバサ10:50-ゴウモク12:20-ボジバサ13:20-昼食(バファーク ダルカレー ライス ナスのカレー炒め)-降雪16:00-夕食(ライス チャパティ ダルカレー パミール セーニャ=甘いデザート 細い麺)19:00

 チルバサから上流に歩く。木々は灌木となり、寒さもあり、木も草も芽吹いていない。歩くにつれ、左右の山々に雪渓が増え、歩く奥に見えるバギラッテイも次第に大きくなる。登山道は整備されている。巡礼、お参りの道として長い歴史をもっているのか。落石もあるというのでヘルメット着用で歩く。10mほどの土砂の柱が何本も立っている場所があった。数か所落石の多い小沢があり、離れて、素早く歩く。左の沢の奥に裾まで雪に覆われた山が現れる。奥の山は霧がかかっている。枯草が多くなり、その中にハイマツのような緑の植物が生えていたり、対岸には赤茶けた沢があったりと山はもちろん、地形、植物も興味深い。右手川沿いに幾つかの建物が見えた。そこがボジバサだった。休憩後、高度順応のためもあり、氷河末端のゴウモクまで行くことにする。ガンジス川右岸の道を上流に向かって歩く。斜度はなく、道は整備されているが30cmほどの石を敷き詰めた道で注意をしないと足首を痛めそうだ。石の間に、日本でも見かけたヒマラヤユキノシタが自生している。名前のとおり、ヒマラヤに自生している。さらに進むと巨岩の横に祠があり、ここが以前の氷河の末端だったので氷河は短くなっているという。真が「ここの大岩の上で30分瞑想に耽った」とつぶやく。ボジバサまで戻ると、テントが張ってあった。ドーム形の建物の他に軍の宿舎があり、駐留しているという。地図で見ると、中国国境に近くそのためかと思われる。キャンプ地のそばにワイヤを対岸に渡した設備があり、人の乗れる籠も吊られている。川を渡る設備というが、故障で利用はされていない。

 急に風が吹き、吹雪く。テントにも雪が積り始める。積もるのではと心配していると間もなく止んで、谷の奥に聳えるバギラッティ三山が夕日に輝く。右からⅠ峰6856m、Ⅲ峰6454m、Ⅱ峰6512m。頂上付近は薄茶色の垂直の岩壁で雪も付いていない。大変険しい山であり、険しいだけに神々しい雰囲気を感じる。次第に夕闇が迫り、最後に赤く染まり今日の幕を閉じた。

 

5月4日(木)天気(晴)

朝食(チャパティ ひよこ豆スープ)7:10-ボジバサ発8:30-休憩1時間に1回位-昼食(サンドイッチ ジュース)12:05-タポバンキャンプ地13:30-修行僧に会う14:20-キャンプ地16:00-おやつ(カレー小粉入りころもで揚げた玉葱)16:30-夕食(セルフで=釜上げうどん)17:00

 標高3000mを越えると高山病のリスクが高まると言われている。今回、カンゴトリから、朝は体温、朝夕はパルスオキシメーターで脈拍・血中酸素濃度を測定し、高山病スコアを記録した。4人ともに酸素濃度の低下、脈拍の増加が見られたが、頭痛、めまい、睡眠障害などの顕著な症状は出ていなかった。

 朝はは晴れた。炊事をする周辺には、残飯を狙い、黄色い嘴のカラスに似たハウスクロウが飛んできていた。

 朝食後、川の右岸をゴウモクに向かい登っていく。次第にシブリンが見え、バギラッティも大きくなってくる。11時過ぎに水量の多いガンジス川のスノウブリッジを使い左岸に渡る。大岩がある川原を上流に向かい歩く。雲のない空が山々の上に広がる。氷河末端からは左岸を進む。氷河末端を過ぎるとガンゴトリ氷河の上が見え、そこは砂利混じりの丘が連続して続き、氷河の所々に青白い池がある。一休みして右の急登を登る。標高差150m位か。そして、急に平原に出て、その向こうにシブリンがどっしりと姿を現した。

キャンプ地のタポバンに着いた。広い平原で、キャンプ地として最適、しかも南にはシブリン峰が鋭く立ち上がり、その右にはメルーも聳える。東にはバギラッティ3峰も間近に聳える。素晴らしい景色が広がる場所だ。

太陽も出ているのでソーラーパネルでスマホやカメラのバッテリーを充電した。ザックを下し、一休みしてから、ヒンズーの修行僧に会いに行った。タポパンの平地の南の丘に住んでいる。真の知り合いで以前にも訪問したことがあるという。また、上野の子どものシブリン登山の時に立ち寄ったという。

 テントに戻り、夕食は、セルフでうどんを茹で、久々に日本らしい食事をした。寒さもあり熱々のうどんで体が温まる。18:00には雪になったがそれほどは積もらなかった。

 

5月5日(金)天気(晴 小雪)

 朝食(コーンフレーク オムレツ)7:00-タポパン8:20-1時間の1回位休憩-氷河へ下降12:45-ランチ(チャパティ チーズ ジャガイモ炒め オムレツ ジュース)-氷河13:35-氷河合流点14:30-キルティバマックキャンプ地(BC)15:35-おやつ-夕食(チャパティ ライス カレー 野菜カレー煮 ゼリー)19:15

 今日は、タポパンから、南に進み、一度、氷河まで下り、上流に歩き、キルティ氷河の左岸のBCまでのルートだ。昨日会った修行僧の住まいの前を歩き、ほぼ平坦な道を進む。地形的には川に平行にできたモレーンの上や横を歩く。ただその丘の左の崖は、土砂が崩れ、歩いている道も落ちそうである。雪は無く、歩きやすい。草花は枯れていて、緑の植物は少ない。サルビアの花のような殻がついている枯草もある。歩くにつれ、周囲の山の形も少しずつ変わる。

 氷河に下る場所は、急な沢状の場所で土砂もすぐに崩れ落石を起こす。慎重に下る。氷河まで下り、安堵する。氷河とはいっても凹凸が激しく、ルートをよく選ばないと疲れる。ただ、分厚い氷河そのものは表面に現れず土砂に被われている。所々の崖状の場所に深緑の厚い氷が

見える。

 ここのルートからは、氷河左岸の土砂の崖が見え、土砂が頻繁に崩れる。大きな石は雷鳴のような音を立て、泥は、茶色い埃となって空に舞い上がる。その下を通る時は、本当に「落石厳重注意」である。

 進んで行くと、右側に、目指すケダルナートドームが見えてきた。他の山と較べると丸っこく、穏やかな印象の山だ。しばらく氷河歩きをして、キルティ氷河との合流点付近で、右側の砂混じりの斜面を登る。急に平坦な場所になり、ここがキルティバマックのBC地であった。

雪の平原に、枯れた草の塊が点々と生えている。ケダルナートドームはしっかり正面に見える。

 北側には、100m以上の雪も植物もない垂直の大岩壁が立ち上がっている。ポーター達の荷物の運搬はここまでなので、下すと帰っていった。

 小雪が舞い、風もあったがさほど積もらなかった。

 

5月6日(土)天気(晴 雪)

朝食(オートミール チャパティ=巻いたもの)8:40-装備点検10:20-打合せ11:50-昼食(ライス 焼きそば カブ 炊き込みご飯 カレー セルフ=わかめサラダ 缶詰)-夕食(チャパティ ライス エッグカレー オクラ揚げ デザート)19:30

 休息日なので、朝食の時間もゆっくりであった。朝食前に、テント場横にある祠にガイドも集まり、ケダルナートドームに向かい、安全登山を祈願して線香をあげ手を合わせた。

 快晴で、陽射しは強く暖かく、テントの上にシュラフや、衣類などを干した。ソーラーパネルで充電などもした。10時過ぎにハイポーター、リエゾン等立ち合いで、装備の確認を行った。

11時にアタックに向け打合せを行う。C1、C2、C3を設け、C3を標高5800mにして頂上アタックをすること、それまでの日程が出された。11日未明にC3を出て、頂上まで登り、C1に戻るなどの予定が出された。C3は5800m以上に設営できないルールになっている話も出された。

 昼食後は、各自で過ごす。15:00から雪が降り始め、風も出たりして19:00頃まで降り続く。積雪は10cmほどになった。

 

5月7日(日)天気(晴 曇 小雪)

 朝食(チャパティ チャパティ)7:15-BC発8:40-キルティ氷河中央11:10-BC13:55-昼食(パスタ スープ モモ)14:00-夕食(コロッケ スパゲッティ デザート)18:50

朝起きると雪がかなり積もっている。雪をかいて歩きやすくした。荷揚げの日でガイドと一緒に歩く。BCから西北に平らな場所を歩く。右手には大岩壁があり、氷壁の氷が落ちて音を響かせる。大岩壁の間には谷があり、大岩、大石、砂利などが岩錐を作っている。氷河の横の丘に登り、石と雪の混じった場所を上流方向に歩く。スキーのポーター2人が氷河上に小さく見える。氷河に下りるには適当な場所を見つけなければならない。進んで行き、沢状の場所に足場を作り、一人ずつ慎重に下る。

 さらに氷河上に出て中央付近まで歩き、そこに食料等をデポする。BCまでは往路とほぼ同じルートを戻る。昼食後はまた、自由時間を各自で過ごす。

 

5月8日(月)天気(晴 曇 小雪)

朝食(オムレツサンド シリアル 茹でジャガイモ)7:30-昼食(チャパティ カレー)13:00-夕食(チャパティ パスタ スープ)18:00

 近くの祠に線香がたかれ香が漂う。「ガイドの体調が悪いので今日は、休む」よう」にと伝えられる。予定が違ってしまったが各自でゆっくり過ごすこととする。8:00には荷揚げの5人が出発した。

ザックを背負い、丘を歩く者、ゆったり過ごす者など、やや時間を持て余す感じである。昼食後、チャイを飲みながら食べ物談義をし、明日の出発に向け、装備の点検などをする。14:30過ぎまたもや、雪が降り始める。午前晴れ、午後曇、雪の同じ天気のパターンだ。15:00過ぎに荷揚げのポーターが戻る。さらさらの雪が降り、雷鳴も鳴る。積雪は15cm程度であった。

 16:00過ぎ、真から荷揚げ隊の報告がある。「「C1まで行き、テントを張ってきた。明日は天気が崩れる前にC1に着くようにペースを速く行きたい。」

 

5月9日(火)天気(晴 曇 小雪)

朝食(チャパティ グルテン煮物 スイカ ケーキ)8:30-昼食(ライス ダルカレー カブ カリフラワー等揚げ物)12:40-予定の打合せ-夕食(焼きそば ジャガイモカレー味 グリーンピース デザート セルフー春雨 マーボ煮)19:00

昨晩、積雪もあり、予定変更で待機日となった。朝は晴れていて周囲の山々がはっきりと見える。東のバギラッティは逆光で白っぽい。山頂付近は雪煙が巻きあげられている。BC北の大岩壁に日が当たり水蒸気が立ち上がる。ケダルナートドームの頂上付近も毎日のように西から東に雪煙が流れる。8:50ころ荷揚げの3人がタポワン方面に歩いて行く。食料が少し不足してきているという。天気は良いのでシュラフなど干す。

 午後、予定の打合せをハイポーター、リエゾンと行う。C1は4800m、C2は5400m、C3は5800mに設置する。ここ2、3日の天気はよい。ルート上にあるクレバスは小さい。スキーではC3まで登り、その後は頂上まではアイゼンで登る等の話が出される。

 

5月10日(水)天気(晴)

朝食(プーリー ココナッツカレー スイカ)7:30-BC発8:50-休憩とりながら-11:20昼食(各自)-スキーデポ地点11:55-山スキーに履き替え-C1着15:20-夕食(セルフ=ライス 親子丼 みそ汁)18:00

 雲一つない天気で、日焼け止めをしっかり塗る。運んでもらうシュラフなどはポーターに預けた。荷揚げの時とほぼ同じルートを歩き、氷河の上に出てから、スキーのデポ地点まで歩く。氷河の上には、人の背丈を越える大岩が幾つもあり、目印となる特徴ははっきりしない。ガイドはよく分かるようで、岩陰のデポしたスキーをわけなく示していた。

 ここでスキーに履き替えた。登山靴は、しっかり梱包して岩陰に置いた。食料は、かなり梱包しておいてもきつねなどに食べれることがあるらしい。氷河上をC1に向かうが、雪はつながっているのか、急斜面は登れるかなど心配もしながら氷河上を歩く。氷河の緩い雪面を歩き、氷河右岸に進むとモレーンのような長い丘があり、登りきると雪が切れていて、一度スキーを外し、数m雪面まで歩く。その後は、雪が山頂に向かって厚く積もっていた。ここをポーター達の歩いたルートも参考にし、急傾斜を避けるよう右、左にルート切り替えながら登る。雪はそれほど硬くなく、スキー板を雪面に食い込ませることができた。空気は薄くなり、傾斜もあり、深く呼吸をしながら、一歩進んだら何秒か休んで高度を上げる。ラッセルするほどではないが、真、上野とトップを交代しながら進む。C1には15:20に着いた。大岩の近くで割合平坦な場所であった。

 標高を上げ、周囲の山は、雪をまとっている。西のタレサガールの山は激しく空を突き刺すようだ。シブリンもタレサガールの山も中腹に分厚い氷河を付けている。

 夕食を自前で作り摂った後、シュラフに入る。

 

5月11日(木)天気(晴)

朝食(セルフ=雑炊)6:40-C1発9:20-途中で休憩入れる-昼食(各自)11:35-C2着15:20-夕食(セルフ=サケ雑炊)17:30

 夜は寒く、テントの内幕に吐いた息で霜が付きテントが動くとパラパラとその霜が落ちた。

C1からはドーム型2人用テントとなり、中は狭い。また、食事はセルフで作るため、雪を水にして、沸かして・・・と手間取る。ポーターにお湯を欲しいと何度か伝えもらう。トイレはこの場所に地面は無く、周囲の雪面を掘って用を足す。

 山スキー2日目の登りだ。晴れて暑いほど。空気は薄くなり、さらにゆっくり登る。地形的には斜度の同じ雪面が横幅300mほど広がるので分かりやすい。C2の西側は切れ落ちた谷になっていてその向こうには地層のある長い崖が見える。その上には雪が10mほど積もっている。

谷は雪で覆われ、クラックが縦や横に走っている。ただ、急傾斜だが雪崩はない。登るにつれ、雪質はパウダーが増え、日当たりのよい場所は表面が硬い。急斜面なので切り返しつつ登る。

 C2でスタッフと打ち合わせる。5800mから上は雪崩の危険性あることなど。

 

5月12日(金)天気(晴)

朝食(梅雑炊 リゾッタ)7:30-高度順応の登高C2から10:30-C3付近14:00-C2テント14:30 -夕食(ライス 中華丼)16:40

 夜明けとともにテント内も明るくなる。苦労しながらテント内で食事を作り摂る。連日、晴れて日焼けが進む。日焼け止めクリームをしっかりと塗る。唇も日焼けしひび割れるのでリップクリームを塗る。

 今日は休息日だが高度順応のため、登ることにする。真、宮入、橋本は、スキー靴で、上野はスキーで登る。食事がセルフになり苦労が多い。寒いため、ガスが気化せず、火のつきが悪い。それでもどうにかしながら、食事を作って食べ、飲み飲む。湯をつくるのも雪からで時間がかかる。ポーターが1人荷物を持って上がってくる。ガイド2人はルートを見に山に登っていく。4人はゆっくり雪面を登る。それでも距離が開いたりする。休み休み、高度を上げる。標高を300mほどあげ、C3設営付近で折り返す。下りはあっという間に標高を下げる。

 景色は最高で、本当に周囲の山々が見える。

 

5月13日(土)天気(晴 小雪)

 朝食(ライス お茶漬け さんま缶詰)7:00-C2発8:50-C3着13:00-夕食(セルフ=ライス カレー スープ)16:40

 この区間は4人ともに山スキーで登高する。連日の登高、薄い空気、夜寒くて熟睡できず、しかも小用で起きなければならないなど疲れがたまりゆっくりペースで登っていく。呼吸を深くしなければならず、会話もせず黙々と登る。途中で休みを入れる。咳こむ人いる。ゆっくり登るが、間があく。苦しみながら、C3に着く。予想よりも早く着く。薄曇が広がるが風はほとんどな無く景色はよく見える。14:00スタッフが紅茶を差し入れてくれた。暖かくてありがたい。この後、登頂に向け、装備等を確認する。ハーネス、アイゼン、ピッケルを持ち、ヘルメットを着け、スキー靴で登ることになる。標高差は1000mほどで、埼玉で言えば武甲山、両神山位だ。しかし、5800mから上の登山であり雪氷上を歩く。尾根なので強風も予想される。明日の午前3時起床の登山に向け、しっかり準備し、食べ、眠り全員の登頂を目指したいと思って過ごしていた。15:00ころ曇り、風も出てきた。パラパラと雪の粒が降ってきた。乾いた硬い粒でテントに積もらず滑り落ちた。15:30から30分ほど雷鳴が鳴り響く。17:00頃まで雪が降り続き数㎝の積雪となった。

 18:00ころには雪が止んだ。ハイポーター、リエゾンと打合せをした。彼らの言うことは直接理解できないが、真が通訳するに「この雪で、5800mから頂上までは雪崩の危険性があり、登ることはできない」という事であった。「過去に雪崩の事故があった」という内容だった。打合せというより、通告のような伝え方で4人は唖然とした。がっかりした。しかし、私たちだけで登ることはできない。明日はできないにしても、延期して15日に登れないか。相談したが、「そのための食料がない」という。斜面を見上げても、雪崩れた場所もなく、谷状でも無く、危険性は少ないのではないか。反論もできずその提案を受け入れるしかなかった。残念無念の気持ちが治まらないが、シュラフに入って眠る以外にはなかった。

 

5月14日(日)天気(晴れ 雪)

朝食(アルファ米 レトルト食品 )7:30-C3発、山スキー滑降10:00-C1着12:00-氷河モレーン13:00-氷河大岩靴等デポ地点13:40-BC着17:15-夕食(セルフ=塩ラーメン)18:15(ライス カボチャ エッグカレー ダルカレー デザート)19:00

 6:00過ぎに明るくなり、日も昇る。寒さ厳しく、足先は冷たいままだ。テント内の霜は太陽の光で露となり室内に落ちてきた。ガスバーナーが寒くて火がつかず苦労する。手で缶を暖めやっと火が付く。登頂は無いのでスキー靴を履いて滑降モードにした。橋本が滑ろうとするが摩擦が多く全然滑らない。どうしたのか。板を外して滑走面を見れば雪が固まって張り付いている。相当な寒さで凍り付いたようだ。凍り付いた雪を落とし、上野のワックスを塗ると支障なく滑る。真の板にも氷がついていて同様にワックスを塗る。

 いよいよこの雪面を滑降する。上野が先頭で滑り、後に続く。風は無く、雪面は広く、気持ちよく滑れる。C2で一休み。滑降でも筋肉を使うようで呼吸が苦しくなる。C2からC1までも大きな斜面で気持ちよく滑れる。上野、宮入は先にC1付近まで滑っていくが、橋本、真が遅れる。真は板が外れ、ビンデングにはまらない。橋本は呼吸が苦しくなり、休んでいる。どうにか全員が滑降して4人がそろう。C1に着いて休んでいると、雪が降ってきた。天気の変化が激しい。突然雪の降る中、クライミング装備を付けた4人の外国人男性が登ってきた。とてもフレンドリで挨拶を交わし、どこの山に登るのか、どこから来たのかなど会話する。これからテレサガールに登るという。雪が強まる中、C1の資材なども片付ける。

 靴を置いた氷河の大岩の所までスキーで行くことにして、モレーンなどを越えて下る。ポーター達に聞いたりする大岩の位置がはっきりしない。自分たちで、それらしき大岩を探すが無い。氷河の左岸側で呼んでいるので行くとそこに登山靴などデポした装備があり、一安心となった。スキーを脱ぎ、登山靴に履き替え、崩れやすい沢を登り、BCの尾根に出る。手前に他グループのテントが5張あった。ガイドと一緒に自分たちのテントを目指す。

 テントに着き、チャイを飲み、おつまみをつまみながら、終わってしまった今回の山行、次回の山行について話し合う。「高所から周囲の山が良く見えた」「普通の人が見られない山々が見られた」「次回、ゴルソンピーク、アンジェンチュラなら花が綺麗だ」「寒さはそれほどでもないが、高度順応が難しい」等。

 

5月15日(月)天気(晴)

朝食(トースト コーンフレーク)6:30-反省等-昼食(ライス 焼きそば グルテン煮物 カブ)12:10-夕食(セルフで酢飯をつくり手巻き寿司)18:30(ジャガイモ煮つけ ライス カレー チャパティ キール)19:30

 昨日は雪雲にかくれたケダルナートドームは快晴の中、全体を見せた。C3キャンプはどの辺だろうかと目を凝らす。シュプールは、と観るが遠くて見えない。祠に線香がたかれ香が漂う。風も無く穏やかな一日が始まった。一昨日の夕方2時間の降雪は何だったのか。4人の登山者は5880mに足跡を残して下山を始める。今日は、荷物整理日なのでゆっくり過ごす。真が幼少時の生活、体験など話す。日本の戦後間もない頃の農村に似ている。また、インドは広く、公用語はヒンズー語だが東と西では通じないこともあるという。ヒンズー語はインドヨーロッパ語族の言語で名詞に男性、女性、中性があり、それにより動詞も変化するという。また、報告書についても話す。9時過ぎ、登山を支えたスタッフと記念撮影する。その後、登山についての感想を述べあう。

「若い時から夢見ていた雄大なシブリンを観られた。高度障害も余りなかった。5800mまで登り、頂上に手の届く所まで行き、失敗とは思っていない」「最後の1000mは登れなかったが、90%は成功た」「4人とも大きく体調を崩さず、協力しえ5800mまで行け、よい登山だった」「自分にとって過酷で厳しい時もあった。頂上に登れなかったのは悔しい。日本にはない景色を紹介していきたい」等。そして登山を支える、スタッフの役割分担、計画の進め方、反省事項などを話し合う。

 埼玉労山として今後の海外登山をどうするか。報告書の作成等についても意見交換した。

 また、リエゾンのナビーンを交え、ビーコン訓練をする。発信のビーコンを隠し、他のビーコンのサーチモードで探す訓練である。正確に、時間をかけずに発信のビーコンを探すことができた。

 

5月16日(火)天気(晴)

朝食(パンケーキ オートミール)8:00-荷物整理-昼食(ライス 焼きそば ダルカレー カボチャペースト)12:30-夕食(セルフ=塩ラーメン 海藻サラダ)18:20(チャパティ ライス ダルカレー 野菜カレー煮 スイーツ)19:10

 毎日好天が続く。周囲の山々もはっきり見え景色も最高だ。明日の下山に向け、荷物、装備の整理とパッキングをする。ヒンズー語を真から教わる。Basaはある所、topoは修行、wan

は森という意味など。意味づけされた言葉は理解、記憶しやすい。

 時間に余裕があるので、トランプを使っての「スィープ」というゲームを昼食前、昼食後4人でする。真は昔からやっており、手慣れている。他3人は、初めてであり、ルールを教えてもらうが、やっているうちに勝負強くなる人と、そうでもない人との差が出た。

 夕方になると気温が下がり、小雪が舞い散る。夕食後、明日の予定を打合せ、今夜でこの地を去ることになるので「みんなで歌を歌おう」と盛り上がる。男4人で雪山賛歌を歌う。タポパンの暗いキャンプ地に4人の思いを込めた歌が響いた。

 

5月17日(水)天気(晴)

朝食(オムレツ ラーメン)6:40-BC発8:10-タポワン12:35-ゴウモク・昼食(チャパティ ジュース オレンジ 豆煮)13:40-ガンジス川渡渉14:40-ボジバサ16:10-チボバサ17:40-入山ゲート20:50-カンゴトリ宿舎21:45-夕食(ドーサ パスタ 野菜スープ ピザ等)22:00

 天気は良い。16人のポーター達が荷下ろしに登ってきている。テント場の北の岩壁に日が当たり、BC撤収作業が進む。預ける荷物と運ぶ荷物を仕分ける。ケダルナートドームは雪一面で朝日に映え私たちを見送る。10日間滞在したBC、C1、C2、C3、いつまでもこの雄大な、人に何かを与える自然が残っていて欲しいと願う。山、氷河に別れを告げる。ガイドを先頭にキャンプ地を去る。氷河左岸の斜面に行くと砂地で柔らかい。ガンゴトリの氷河も長く伸びている。氷河上で休憩する。左岸は土砂の崖で絶えず土砂が崩れ落ち、埃を舞い上げる。氷河上には三辺とも4mほどの大岩もある。氷河から急な土砂の崖を登り、平坦な場所で休む。バギラッティ、氷河が見渡せ、適度な風もあり気持ちよい。タポワンでは平坦な場所を黙々と歩く。植物の緑は少し濃くなっているようだ。12時過ぎタポワンの修行僧宅庭で一休みし、お茶、ラスクをいただき会話する。

往路でキャンプを張った辺りには、30名ほどの登山者がおり、賑わっている。登山シーズンに入ったような雰囲気だ。北の方に進み、下っていく。その付近に、1cmにも満たない位小さいコザクラの仲間が咲いていた。今回の登山ではあまり見ない花に写真を撮った。下り道では登ってくる登山者がおり、道を譲ったりして進む。川に近い辺りで登ってきた女性が石につまずき倒れた。上野と橋本が両手を引き立ち上がらせた。ここまでかなりの距離で、あの体格でよく登ってきたと感じた。

 氷河末端で休憩、昼食にした。氷河の下に穴が開いていて、ガンジスの源流が流れ出ていた。真が「沐浴」すると声をかけた。他の者も倣って氷河の冷たい水で沐浴した。昼食後は河原を下流に歩く。行きのスノウブリッジは無く、渡渉点では数人が渡っている。方法は二つ。飛び石を渡る方法、靴を脱ぎ、荷物を背負って渡る方法。3人は飛び石で渡った。もう1人とガイドは靴を脱ぎ、ズボンを上げストックで深さを調べ、体を支えながら無事に渡った。5分もかからないがガンジスの氷水で足は冷え切ってしまった。

 その後は、余り休みもとらないで、ひたすら歩き続けた。後ろを振り返ればバギラッティも次第に遠くなる。曇りの天気もあり、暗くなっていく。チルバサ近くの休憩点でガイドがカンゴトリまであと3時間という。明るい内には着けない、ヘッデンが必要と分かった。その後も歩き続けた。脚に痛みが出た者もいて、歩く速さもゆっくりになった。19:30にはヘッデンを各自付け、沢を渡り、石ごろごろの場所も注意して歩いた。道の向こうに照明がついていて、ゲートだと思ったが、ゲートの手前の照明だった。しばらく歩いてゲートに着く。さらに歩き続け、深い森の間からカンゴトリの街の灯りが見えて安心した。8:10に出て、約13時間30分ほどの行動時間となった。BCから3か所のキャンプ地を通り、1日で下ったので歩行時間が長くなった。

 宿舎に着き、その建物の1階にあるレストランで遅い夕食を摂った。そこでトレッキング隊の行動について聞くことができた。

 

5月18日(木)天気(曇 晴)

朝食(ピザ パスタ トースト スープ等)9:10-買い物11:00-カンゴトリ発12:20-昼食(チャパティ カレー)16:00-ニューテリ真親戚宅・夕食(飲物 山羊煮つけ チャパティ おつまみ)20:25

 今日は移動日だ。朝食後、運んでもらう荷物を整理し、ザックに詰める。参道で、数珠を買う。駐車場までは離れているので歩いて行く。そこで4人の荷物をルーフとトランクと座席の空いた場所に詰め込む。ウッタルカシまではエージェントも乗るので7人が荷物の間に体を入れるような状態で乗り込む。ポーター達もここまで荷物を運んでくれた。ありがとう。ガンジス川に沿った急傾斜斜面につけられた細い、カーブの多い道を延々と進む。よくこんな場所に家があると思う。落葉樹は緑を濃くしている。小雨も降るが止む。ウッタルカシ手前で昼食を摂る。道端にランタナが灌木となって花を付けている。やや開けたウッタルカシでエージェントを下す。住宅が道沿いに増え、人々も生活している。川の右岸から橋を渡り左岸に移り、下流に向かう。周辺は農村となり、畑や森が広がる。ダムも見えてくる。ダムの対岸の山の上に街の灯りが見える。ニューテリはあの辺と思うが、ダム湖の橋を渡ってもくねくね道が続く。疲れた人は眠り、または外の景色を見たり、飲み物を飲んだり、自由に過ごす。ニューテリにやっと到着し、真親戚宅のテラスに落ち着き、遅い夕食をいただく。ナビーンも会話に加わり、片言の英語で話す。彼は独身であるが、兄がおり軍勤務だという。結婚を進めるが、独身の兄を差し置いて結婚はできないらしい。しかもインドでは、アレンジメント(見合い)での結婚が普通だという。宮入がスキーをしに日本に来るよう誘う。

 

5月19日(金)天気(晴)

朝食(チャパティ-ミント・豆の粉入り 漬物)-ニューテリ―発9:00-真親戚宅9:35-昼食(チャーハン フライドポテト ピザ オムレツ)14:30-ニューデリでナビーン下車16:30-ニューデリ真親戚宅17:40-夕食(山羊の煮物 チャパティ 飲物)18:30

 天気は良く気持ちが良い。外のテラスで寛いでいると前の家で干し物したり、掃除したり、普段の生活が見える。家は違うが顔見知りで挨拶を交わす。ポーターが来て車まで重い荷物を運ぶ。日本にはそうした人はいないが、インドでは小遣い稼ぎでやっているようだ。

テラスの端には花や木、ハーブなどが植木鉢に植えられている。ゼラニュームやハッカなど分かる植物もあるが、日本にない植物もある。ここでは、WIFIが通じると、皆スマホを見ている。

尾根の道を通り、真親戚・伯母宅に立ち寄る。89歳だという。日当たりのよいマンション風の建物で、鉢物もあり綺麗な住まいだ。

 その後は一路ニューデリー目指し、山を下り、川沿いの道をほぼ南に進む。平野部になると道路も広くなり、街も賑やかになり、店も増える。街を抜ければ畑が広々ひろがる農村地帯である。牛糞が半球状の山になっている、塊にして干してあるなど日本と違う風景も多い。高速道路であるが道端に店が多い。サトウキビジュース、マンゴ、スイカ、ココナッツ、小さい果物などを並べて売っている。

 住宅が建て込んできた場所で、ナビーンが下り別れを惜しんだ。真親戚宅で、遅い夕食をいただいて、ゆっくりと過ごした。

5月20日(土)天気(晴)

ニューデリー発5:10-朝食(チャーハン 焼きそば トースト スープ)9:10-アグラ・タージマハル10:20-アグラ城12:45-昼食(焼きそば チャーハン コーヒー)15:00-ニューデリー真親戚宅・夕食(チャパティ 山羊肉煮物 飲物)19:30

 IMFの事務所に真が行き下山報告をする。他の3人は、世界遺産で有名なタージマハルに行くことにした。余り混まない5時過ぎに車で出発した。この時間の車は少ないが、人はもう動き始めている。外は寒くないのか、道路端に毛布1枚で休んでいる人もいる。アグラまでは約200kmで道路はよく整備されている。途中、朝食は高級そうなレストランに入る。真がいないので皆、少し不安がある。メニューを見てどうにか注文する。「日本人にとっては、イタリアンと中華は外れがないな」等話す。朝食後、また走り、アグラの近くでドライバーが現地の人に声をかけ、その人のバイクについて走る。大丈夫かなどと思うが、ドライバーは平気でついて行く。そして奥まった場所に駐車した。現地の状況が分からないしドライバーが案内するので大丈夫かと、降車し、近くにあったリクシャに乗り込む。すると直ぐに男が近寄り「ガイドします」と言う。自分たちで見学するつもりだったので、「ガイドは必要ない」と押し問答をし、断る。すると降りろと言う。再び車で移動し、タージマハルの西駐車場に行く。歩いて10分ほどで、西ゲートに行き、入場券を買い入る。これもかなり混んでいて時間がかかり、さらに入場のセキュリティチェックも厳しく時間がかかった。人の流れにのって、茶色の立派な建物をくぐり抜けると明るい景色が目の前に広がった。晴天の中、タージマハルが白く輝いていた。内部も見学したが、石を巧みに彫刻し、17世紀によくこんな立派な建物を作ったと感嘆するばかりだった。ここでも、親切にガイドする係がいたが最後に「チップ」と言われてしまった。

 タージマハルから遠くないアグラ城にも入る。ここは赤茶色の石材を多用した建物が幾つも建っており、当時の石材の加工技術、建築技術の高さを知ることができた。東側の窓などからはタージマハルを望め、また、よい景色だと感じた。

 予定の日程を終え、1日の見学で疲れ、ニューデリーに帰るまでは、うとうと休んだりしながら帰った。市内では焼きトウモロコシを売っているなど日本と同じ光景に親しみを覚えた。

 

5月21日(日)天気(晴)

朝食(チャパティ トーストサンド オムレツ)8:00-出国のための荷物整理-買い物12:00-昼食(チャパティ ライス サモサ ヨーグルト和え物)13:40-真親戚宅発14:45-ニューデリー空港16:00-デリー空港発19:05-夕食(機内食-和食か洋食)21:00-

 午後は空港に行くので荷物を整理する。ザック一つとスキーバックに機内持ち込みの荷物以外を詰め込む。紅茶等の購入は、真の弟に依頼する。10時ころ、真の姪が赤ちゃんを抱いてきた。赤ちゃんを代わるがわる抱いてかわいがる。民族が違ってもかわいいという感情は同じだと観てとれる。

 午後、300mほど離れた洋菓子店に買い物に出かける。その間には、公園があって遊具があり、木がありベンチがあるなど、空間的に余裕がある。線路を越えた。広軌で幅が2mを超える。洋菓子屋のショウケースにはカラフルなお菓子が並んでいる。セットのお菓子などを買う。

 早めの時間に空港に向かう。道は混んでいる。空港も混んでいた。預け荷物を各自2個カウンターで受付し、スキーについては別の搬入口に運んで預けた。ここまではスムースであった。出国審査も通ったが、セキュリティチェックで、2人の機内持ち込み荷物がかかってしまった。

一人は折たたみストックが、もう一人は山スキー用工具(プライヤ、ドライバ)だった。言い争っても勝ち目はないので、工具は投棄し、ストックはJAL職員に預かってもらうことにした。

 空港内の店で一杯飲んでから搭乗口に行くと間もなく、搭乗が始まった。予定の時刻に航空機はインドの地から離れた。

 

5月22日(月)天気(晴)以下日本時間

羽田空港着6:15-羽田空港駐車場8:00-北本駅10:00

 機内ではあまり眠る時間も無く、明るくなり、航空機は中国上空から日本の上空に飛んだ。

羽田空港に定刻に着陸し、今回のインドヒマラヤ山行は終了した。