裏磐梯五色沼・磐梯山
山域:裏磐梯五色沼・磐梯山
目的:熊トレ秋合宿 初秋の山歩き
期日:2025年9月27日(土)、28日(日)
参加者: CL石川 須藤 白根(27日のみ)
行動記録
27日 <五色沼散策> 熊谷6:30=10:35裏磐梯高原駅バス停→遠藤現夢翁の碑→11:11青沼→瑠璃沼→11:24弁天沼(裏磐梯 五色沼)→竜沼→11:51赤沼→12:16毘沙門沼(昼食)→13:02五色沼入口観光プラザ=(バス異動)=13:40裏磐梯高原駅=13:55中瀬沼P→14:07中瀬沼展望台→14:40P=15:00曽原湖キャンプ場
28日 <磐梯山> キャンプ場7:00 八方台登山口7:28→8:08弘法清水分岐→9:24弘法清水→10:05/10:45磐梯山→11:10弘法清水→12:14裏磐梯スキー場分岐→12:43八方台登山口
27日 <天候:晴れ> 裏磐梯高原駅の駐車場に車を置き、散策コースを歩き始める。
調べたところによると、この地域一帯の植生は1888年(明治21年)の磐梯山噴火における大規模な山体崩壊の影響を強く受けている。噴火による岩屑なだれが裏磐梯に広がり、湖沼群(五色沼を含む)が誕生。当時は表土や植生がほぼ失われ、荒涼とした裸地や火山性の砂礫地が広がっていた。
最初は火山灰や岩屑地では養分が乏しいため、まず 地衣類やコケ類 が進入→続いて ススキ、イタドリ、オオヨモギ など→徐々に低木、広葉樹林→現在では森はブナ、ミズナラ、ダケカンバを主体とした落葉広葉樹林が広がる。低地ではアカマツ林も残存。湿地・沼畔ではスゲ類、ミツガシワ、ヒツジグサ、モウセンゴケなど湿原性植物が茂る。
最初に訪れた石碑に名前の刻まれた遠藤現夢翁は、壊滅的な被害を受けた裏磐梯地域において、復興のリーダー・開拓指導者として大きな役割を果たした人物です。当時から一帯の観光的価値を見抜き、現在の「五色沼を中心とする観光地・自然公園」の礎を築いた人物だそうです。
コース沿いに大小さまざまな沼が次々と現れ、青沼、るり沼などは乳白色がかった青色、毘沙門沼は濃い目の青色、全般に青系が多いといったところで五色沼とはいうにはやや色数が足りない?。さわやかな風が駆け抜け起伏の少ない快適な散歩道でした。
28日 <天候:晴れ> 曽原湖キャンプ場の夜は気温10度を下回り、この時期はやはり冷え込む。夜露でテントの床も外側もビショビショでした。
1番手でキャンプ地を出発し20分程で八方台駐車場に着く。第1駐車場はすでに満杯だったが、かろうじて奥の方にスペースを見つけて停める。
歩き始めはなだらかなブナ林の中の道。木漏れ日がキラキラして感じが良い。森を抜けると硫黄の匂いと廃屋が目に入る。かつての湯治場中ノ湯である。1990年代まで営業していたというが、現在は朽ちかけた建物が往時をしのばせている。一帯は湿気が多いのか木道がつけられ、それもまたすべりやすいので慎重に通過し、その後は石のゴロゴロした急な道で高度を稼ぐ。
弘法清水には売店があり登山者でにぎわっている。トイレはないが、携帯トイレブースがあって、小屋で携帯トイレキットを購入し(\400)用を足すシステムになっている。自分のものは登山口にある回収ボックスまで持ち帰ることになる。
弘法清水を過ぎ、所々で視界が開ける。かつての山体崩壊した噴火に思いをはせる。赤く色づいたナナカマドの実を写真に収めたりしながら登るといつしか山頂に。360°の展望が広がる。東にもう一方のピークである櫛ケ峰が間近に聳え、北側には大小の湖沼が点在する裏磐梯、遠くに霞んでいるのは飯豊の山々か。南には猪苗代湖が大きく横たわる。その右手、広い会津盆地の東南に会津若松市が見える。
にぎわう山頂でゆっくり休憩して下山開始。時間はまだ10時台なので登ってくる方も多く、狭い登山道で道を譲りながら来た道を戻る。天候に恵まれ、さわやかな初秋の雰囲気を味わった山行でした。(石川記)