東北

【ハイキング】会津駒ヶ岳 2020/7/23-25

会津駒ケ岳

山域山名:会津駒ケ岳(福島県)

期  日:2020年7月23日(木)~25(土)

参 加 者:CL木村 SL新井浩、橋本、谷口

アルバム

行動記録:

コロナウイルスの影響で山中泊の縦走は予約の確保の観点から難しいので、麓のキャンプ場をベースに周辺の山々を登る計画を立ててみた。

7/23(木)

羽生IC手前セブンイレブン8:00→久川ふれあい広場キャンプ場14:55

初日は買い出しとアプローチだけなので、下道でのんびりとキャンプ場へ。途中会津田島の街中で食料の買い出しをして、久川ふれあい広場キャンプ場へ。このキャンプ場は、桧枝岐のキャンプ場の予約が取れなかったため選んだキャンプ場なのだが、テントスペースは草地で設備も最低限のものだけきちんと整備されている素朴で良いキャンプ場だった。テントを張ったあとは早速ビールで乾杯。夕食は地元スーパーの名物(?)のラム肉でBBQに舌鼓を打った。

 

7/24(金)

キャンプ場5:05→駐車地点5:55/6:10→登山口6:20→水場7:45→駒の小屋9:15→駒ヶ岳9:45→中門岳10:20/10:50→駒の小屋11:35→水場12:35→登山口13:40→P13:50→古町温泉赤岩荘14:40/15:25→キャンプ場15:45

翌朝は4時起床。ベッピントマ炒めで朝食。今日が一番天気が良い予報なのでメインの会津駒ケ岳を目指す。6時前にもかかわらず駐車場には結構車があるが、それなりに上の方の駐車場に止めることができた。そこから林道を少し歩いて登山口へ。初めから結構な急登である。気温も高く汗が噴き出す。

 

皆快調に登っていくが、私は傾斜と温度を考慮しても全くペースが上がらず、非常に苦しかった。世間の状況が状況なだけに、まさかコロナに無症状で感染していて肺をやられたせいで苦しいのでは、と不安になる。それでもなんとか遅れずに付いていって、森林限界を越えて展望が開けると多少元気が出た。そこからワタスゲ揺れる木道の道をひと頑張りで駒の小屋に到着した。駒の小屋から中門岳の間は、噂に聞いていた通りハクサンコザクラの群落が見事であった。ただし、日陰の木道は非常に滑りやすく注意が必要。

 

駒ケ岳の山頂では標柱の高さを見て、積雪期の山頂の様子を思い出し、冬の雪の多さを実感。駒ケ岳からも緩やかに続く稜線の景色を楽しみながら、無事中門岳の一角に到着し昼食休憩。大戸沢岳や三岩岳が眺められ、いつかはスキーで来てみたいと想像を巡らす。ここでエネルギーを補給し水分を十分に摂ったところ、かなり状態が改善した。どうやら出発前の水分補給が足りず脱水症状を起こしかけていたようだ。また、久しぶりの本格登山で体が鈍ってもいたのだろう。

 

下山は調子が戻ったおかげで特に問題なく降りてくることが出来た。途中では谷口さんの友人の2人組にバッタリ。近くに泊まっているので後でキャンプ場に来るとのこと。キャンプ場に戻った後は、まず近くの温泉「赤岩荘」で汗を流す。鉄分泉の良い温泉だが、源泉は非常に熱く、かけ流しの方の湯舟には熱くて入れなかった。夕食は具沢山のキムチ餃子鍋。谷口さんの友人も合流し、楽しいひと時を過ごした。

7/25(土)

キャンプ場9:00→塩原あかつきの湯11:00→宇都宮みんみん13:25/14:40→深谷18:00

 朝から雨。予定では燧ケ岳だが、この天気の中登ってもつまらない、また谷口さんの友人からの情報で昨年の台風19号の影響で帝釈山へはいずれの登山口からも登れない事が分かったので、今回の山行はこれで撤収することとした。昨日のキムチ鍋の残りにうどんを入れて朝食とした後、塩原で温泉に入り、せっかくなので宇都宮餃子をお昼に食べて帰路についた。

 

 谷口さん、橋本さん、キャンプ道具をいろいろ準備していただきありがとうございました。

(木村記・計時新井)

【無雪PH】吾妻山 以東岳 熊野岳(蔵王)

個人山行 吾妻山 以東岳 熊野岳 

山域山名:東北地方 吾妻山 以東岳 熊野岳(蔵王山)

期日:2020年8月22日から24日まで

参加者:橋本義彦

行動記録:22日 白布峠8:30-西大巓11:10/20-西吾妻山12:00-往路を帰る-白布峠15:40

<天気晴れ>裏磐梯桧原湖のそばで車中仮眠していたが、起きると7時を過ぎていた。すぐに簡単な食事をして、白布峠に車で登る。西吾妻スカイバレーの白布峠には大きな駐車場がありここに駐車する。登山道入口の表示は無く、少し時間をロスした。峠の標高1445m、西吾妻山は2035mなので約600mの標高差だ。落葉樹林が茂る尾根筋を歩く。日差しがあるので日陰でよい。フジバカマの仲間の花が群生していて、アサギマダラが何匹も吸蜜している。尾根なので南方に桧原湖など裏磐梯の湖沼群がたたずむ。132年前の大噴火でできたとは想像できない。ゴゼンタチバの赤い実が道を彩る。低いピークを登り下りしてほぼ東に進む。西吾妻山へのメインルートでは無いが道はしっかりとしている。標識も古いがあり、ルートを外すことはない。矢筈山を過てと標高差40mほど下る。ここで小さい沢を3本横切る。地図上は湿地が左右にあるはずだが灌木で見えない。そしてここから西大巓までは登りが続く。栂やシラビソの大木が垂直に太い幹を立てた森になる。登山道は1-2mの大岩があり、登るのにひと汗かく。深い森なので、地面には苔がたくさん生えている。敷物にしたいような見事な苔もある。笹などに交じってハリブキがとげとげの茎葉を伸ばし、実が赤い。大岩帯を過ぎると斜度が緩くなり、大木も減り明るくなる。そして茂みを抜けるとそこが西大巓だった。20人ほどの登山者が休んでいる。南東は草原で丸っこい西吾妻山を望める。

 

 小休憩の後、西吾妻山に向かう。下り道をたどると、今までとは違い、草原が広がり、リンドウの紫、ウメバチソウの白が目立つ。気の早いナナカマドは紅葉している。西吾妻小屋の赤い屋根を見つけ、近くの分岐を西吾妻に向かう。この辺りにも登山者が何人も昼食をとっている。低い針葉樹の中を歩いて行くと空地がありその中に西吾妻山の標柱があり吾妻連峰最高峰に到達したことがわかった。視界は開けない。梵天岩、天狗岩に向かう。東方に丸っこい尾根が一切経山の方まで続いているのが見える。梵天岩で昼食をとる。少し高くなっており眺望がよい。数十人もの登山者はロープウェイを利用した天元台からの登山者らしい。梵天岩は大岩の原っぱという感じで、蓼科山山頂と同じようだ。吾妻連峰は火山なので、出来方は同じようなのだろう。

帰路は同じ道をたどった。標高差が600mほどであったが登り下りもあり、結構時間がかかってしまった。学生時代に4年間、ここ福島に住んでいた。その時に登れなかった山に登れ、十分な満足感充実感を得ることができた。1泊2日で稜線をたどるともっと楽しいのではないかと思った。

 

23日 泡滝ダム大鳥口7:45-大鳥小屋10:30-三角経由オツボ峰13:40-以東岳14:30-以東岳避難小屋14:35 同小屋泊

24日 以東岳避難小屋5:50-大鳥小屋7:40-泡滝ダム大鳥口10:10

23日<天気晴れ、雷雨あり>大朝日岳登山口の朝日鉱泉への道路が通行止めなので、以東岳に変更しての登山だ。泡滝のPにはもう20台ほど駐車していた。1泊2日で避難小屋泊予定だ。まずは大鳥川右岸の斜度の緩い、登山道を進む。右には川の流れが大きな瀬音を立てている。木々の間から白い大岩、白い流れがよく見える。きれいな沢だ。この山塊は地質的には古く、花崗岩だ。左右に山は鋭く切り立っており、白い岩壁も見える。それに登山者にはありがたいのだが花崗岩質の山は、湧き水が至る所にあり、好きなだけ冷たい水を飲むことができる。1つ目の吊り橋の辺りはトチノキやサワグルミの巨木が天を覆い、とても涼しい。2つ目の吊り橋を渡りる。立派な吊り橋だ。沢の左岸を歩くと直に急登となり、左右に曲がりながら高度を上げる。この「七曲がり」付近はブナの大木帯となりはるか上に枝葉を広げている。

 やっと道が平らになり、静かな大鳥池に着いた。幻の怪魚タキタロウがすむという。水場に下山してきた登山者がいた。直登コースをおりてきたという。満足そうだ。ほとんど休まないで水門を過ぎて直ぐのオツボ峰コースに取り付く。急登で汗が吹き出る。樹林帯で景色も見えない。息を荒げ標高差数百mを登る。すれ違う登山者はほとんどいない。時間も昼近くなので腹ごしらえをする。さらに登り続け、標高1500mを過ぎた辺りで樹林は灌木となり、そして草原となった。花の最盛期は過ぎているのだが、急に高原の花園が現れた。リンドウ、マツムシソウ、キリンソウなどが一面に咲いている。誰もおらず一人占めだ。斜度も緩くなり、避難小屋も西の稜線に見え、気分が楽になる。東の斜面にはキスゲの黄色が目立つ。稜線には数mの大岩が出ている場所もあり、脇を抜ける。遂に頂上の標柱を見つけた。近づくとそれは遭難者の慰霊の柱で、山頂の標柱はなく、登山道の案内標柱のみに「以東岳」と刻まれていた。見ると金属の案内板は周囲や中ほどが溶けている。ガスで焼いた、人のいたずらかと思ったが、標柱そのものは金属の板のそばも燃えていない。どうも落雷による損傷ではないかと推測した。恐るべし落雷、自然の力。人なら即死だろう。

 

 

頂上から下り5分の所に3年前に新しく作り替えられた避難小屋があった。ついに到着した。水場は下り7分のところにあり、汲みに出かけ途中から雷雨に降られた。小屋で1時間、雨宿りしていると、雷雨と風、雷鳴がひとしきり激しくなったが、そのあと美しい虹を私たちにプレゼントしてくれた。雷雨の後、涼しくなった。

無人の避難小屋の使用料は1人1泊1500円で、この日は6人が泊り、広々としていた。

カレーライスの夕食をとりながら、夕焼けも楽しんだ。南側には朝日連峰、東には見え隠れする鳥海山、西には、飯豊連峰。北側には大鳥池がはっきり見えた。避難小屋の周囲もウメバチソウやキリンソウが咲いておりよい雰囲気だ。

24日<天気晴れ>近くの山頂まで日の出を見に出かける。山頂から東方は雲海だ。雲の間から朝日が射し、今日の穏やかな一日が始まった。南に延びる朝日連峰の稜線も穏やかだ。簡単な朝食をとり、直登コースを下る。草原の間の道を下る。向かう先には大鳥池がある。次第に高度を下げると灌木帯に入る。草には朝露がまだついている。えぐられた山道は歩きにくい。それでも丁寧に下りなければ転倒する。汗をかきつつ、湖畔に着く。そこに流れ込む沢は花崗岩の石で埋め尽くされ、白い。池の東側の道をたどる。案外上り下りがある。池に日が射し、反対側の山脈を静寂な湖面に映す。よい景色だ。大鳥小屋を過ぎ、七曲がりの下りを過ぎ、吊り橋を2か所わたり、ずんずん下る。それにしてもこの沢の急峻な崖は迫力がある。なん千万年もかかって浸食されたのかと思う。表示板の1/10を過ぎ沢の合流点で明るくなったら登山口であった。

24日 刈田岳P15:00-馬の背経由-熊野岳16:00-刈田岳P17:00

<天気晴れ>以東岳下山が早い時間にできたので蔵王山に向かい、蔵王エコーラインと蔵王ハイライン(有料550円)を走り、刈田岳駐車場に着く。車道で山頂近くまで行くことができる。そのため安易に考えてしまったがそれは蔵王山に対して失礼なことだと分かった。まず、馬の背という火口湖(お釜)の東側崖上を歩いた。吹き上げる雲の間から、日光に照らされたお釜の色は神秘的で感動した。草木の生えていないその景色は、地球ではないのではと錯覚しそうである。その北側も赤茶けた崖が複雑に入り組み火山地形のすごさを見せつけている。そして、幾つも設置された、「火山の異常に気付いたら避難を」の看板は、この山が活火山であることを知らせていた。御嶽山、草津白根山の水蒸気爆発事故は最近の事故であり、この山も火山の危険がある山だ。登山道は割合平坦で、火山礫がごろごろしている。それに1800mの高さとは言え、雲が下から湧き上がってくる。一瞬でこの平坦な山頂が視界不良になったら道迷いの危険性がある。一応避難用であろうと思われる丸太が数mおきに立っているのは救いだとは思う。数十mの標高差で熊野岳山頂に到着した。熊野神社があり、山頂や登山道の標柱が立っている。頂上からは樹木等の遮るものもなく、景色は白石方面、山形方面が見渡せる。帰りは避難小屋経由で下る。火山礫の緩斜面だ。ほとんど植物は生えていないが、一株コマクサを見つけた。予測していない植生に感動する。そして避難小屋周辺にコマクサが何十株と生えており、ほとんどは咲き終わっていたが数株は紫がかった赤のかわいい花をつけていた。車で来た方も、お釜だけでなく、コマクサも見てその綺麗さを味わって欲しいとも思った。

帰りにもじっくりお釜を見ながら歩いた。お釜の部分が一気に噴火し、噴火が治まると水が溜まり火口湖になったのか。お釜の周りの地層が横に入っているのに水が漏れないのは不思議だ。標高は1800mほどで、標高差も少なく、2時間ほどで登れる山であるが、その火山地形とその景色は1級ではないかと思う。それにコマクサが咲き誇る季節は華やかであろう。簡単に登れても感動のある山だと感じた。